お役立ちコラム

原発賠償判決―民事責任の認める方向性

東京電力や国に対して、賠償を求めた集団訴訟で前橋地裁は、これを認める判決を言い渡した。

 

分かりやすくいうと、法理論は政治とは異なる。したがって、あくまで「行為責任」のはずなのであるが、それでも,東京電力・国には津波を予見し,いわば放射能漏れ事故が起こらないようにする注意義務、いわば一種の行為責任がある、というわけである。これが通れば、刑事責任も認められそうですが、認められたひとりあたりの賠償額は大きくないことに照らすと,賠償額で調整しあるニュースでは1人8万円という賠償額ということもあるそうだが、それでも大義名分が得られたということではないか、と思います。

 

刑事は強制起訴がされるわけですが、無罪の公算が大きいという指摘がなされています。

 

しかし、たしかに当時のNHKの報道が、ユーチューブなどにアップされて、海外で話題にされています。

津波が日本に接近し、ヘリコプターから津波の様子をNHKがとらえている様子などが紹介されます。

当時の報道を思い出すと、水没の危機が迫る仙台空港側から飛び立つなら勝手といわれて、そのまま、NHKは仙台上空に唯一ヘリコプターを地震発生直後から飛ばしていました。

そのうえで、NHKは直ちに災害にすべてのリソースを投じて報道を開始したと紹介されています。

地震発生直後0:32秒後に緊急地震速報を出し、0:50秒にNHKアナウンサーが緊急地震速報の一方を報道しています。

1:59秒に緊急事態のチャイムとともにBreaking Newsを始めて,「おちついて行動してください。現在、東京渋谷のスタジオが大きく揺れています。」などと約3分後の東京への地震到達の情報を伝えました。3分20秒で地震の震度速報となりました。そして,3時55分に大津波警報の報道を開始し、エクザクティブアナウンサーに交代して本格的な津波特番を開始していまず。

Breaking Newsが1分59秒で始まるのもすごい、というわけですが、反対にいえば、原子力という使いようによっては極めて危険なものを扱うものに対して、NHKの素早さとの比較で、国や東電への「慢心」があったことがよく分かる、というものです。

なぜ、NHKがこれほど素早く行動し訓練を積み重ねているのに、東電は何もしていなかったのであろうか。こういう切り口からもそもそも地震情報を提供しているのは、気象庁であるし、NHKも90パーセント国営の報道機関である。

 

判決では、「経済的合理性を安全性に優先させた」「国の不合理な態度も東電と同様の非難に値する」という苦言も並んでいます。

 

考えてみると、NHKは地震が起こると法律で指定されている災害報道機関ということもあるのですが、どうしてここまでカメラが設置されるのだろう、というくらい「画像」にこだわって、日本のすみずみにカメラを設置していません。他方、NHKは情報の正確性のため、高度緊急地震速報の具体的な揺れのポイントや震源地などを緊急地震速報では流しません。この点、情報の「おおまかな」正しさではウェザーニュース社の情報の方がさらに早いといわれています。

 

東電では津波リスクについて、どのように考えていたのか、東電はきちんと検証結果を公表してない。

 

たしかに、効率さと安全性は究極のところでは矛盾するのかもしれませんが、現実的には両立することも多いと思います。経済的合理性ばかり追求していたというよりも、まともなリスク管理をこれまでしておらず、そうした災害担当の役員をおいていたのか、太平洋に、直角に面する東北地方のリスクをいかに判断していたのか、国に丸投げでは東京電力は事業体としての体をなしていないと批判され、かつ、国策会社のため高給の待遇が保障されている東電に批判が殺到するのは半ば必然のように思います。

 

しかし、津波の悲惨さの影に、「目にみえない放射能の恐怖」を隠す動きには危機感を抱きます。海外では、むしろ地震や津波よりも放射能についての情報に関心があつまっていました。安倍首相は、今年の東日本大震災の追悼式から原子力事故への言及を避けましたが、意図的なものと考えられています。もちろん、次につながるものでなければなりませんが、原子力というリスク管理の強化が原子力規制委員会で十分なのか、新たな知見が出たらどうするのか、など、不可逆的な災害を起こしかねない原発事故判決。掘り下げる課題はたくさん残ったまま、将来の残された課題とされつつある現状には、不安感を抱きます。

朝日のコラム―VOICE~目上の人に敬語を使わない人増えた

朝日新聞に高校生の声が投稿されていた。

 

たいていが全国紙は社説代わりになるような声が多いので、このような声はめずらしいな、と思い読んだ。

 

論旨は要するに,目上の人に対して敬語を使わず、かつ、彼らはそれなりのインテリジェンスがあるが、テレビの影響でため口の方がフレンドリーな印象を与える、ということであるが、敬語はマナーでありモラルと結んでいる。

 

この論旨、朝日新聞に載せる必要があるのかな、と思うほどの骨子であった。

 

たしかに,最近上下関係を意識しない、軽薄な人が増えている印象がある。もちろん年齢が上ならすべて上というわけではない。問題は,敬語というのは,ある種,相手を尊敬しているのか、尊厳を尊重しているのか、ということとも結びつく。これをいうと、全員敬語ではないといけないではないか、という反論も聞こえてきそうだが、社会人の場合、社会の場でため語をつかって許される場というのは、同期の飲み会くらいではないか、あるいは、職制上の上下関係があるものに対する指揮の際などではないか、と思う。いわば、ため口というのは、家庭内のものであって、あるいは、極めて親しい世界の話しであって、外部の話しではない、と思うのだ。

 

だが、外部でも敬語を使わないケースはある。例えば、経営者同士のあつまりの場合、誰がえらいということは特にない。「だからこそ」全部「敬語」というケースもあるし、青年会議所では着席したまま発言する場合「着座にて失礼いたします。」といわないといけない。他方、全部、ため語というところもある。

 

私が、とある複数の弁護士が普段は敬語なのだが、ふと酒の場でため口になったことがあったことがあったが、尊敬されたいと願うのは傲慢だが、一事が万事であり、そういう振る舞いを上目の者はみているものである。また、時折、まるで友人関係と勘違いしている弁護士さんもいたが、10年近いキャリアの違いを乗り越えてため口というのは、やはり弁護士になるための勉強のしすぎで・・・。なのだろうか・・・。上下関係を理解している子、つまり体育会系などが会社などで重宝されるのは、投稿者がいうマナーやモラルというレベルでしみついているからである。

 

この投稿者に申し上げたいのは、相手を尊重していればウチの世界の人間でない限り、自然と敬語を使うのが当たり前、ということである。ましてや尊敬している人間には謙譲語を用いるのが当たり前である。

 

中学生のころは、思春期で難しく学級経営に悩む教育者も多い。だから、上下関係を曖昧にしてしまい学級崩壊させてしまうケースもあるが、一部の優秀なインテリジェンスを持っている子はウチ側の人間として、接しているのだろう。それは、かかる教師の学級経営自体があまり適切ではないことの一例を示すことであって、安易にテレビに影響と因果関係の検証なく結びつけるのはよくないと思う。実際、ニュースではほとんどが敬語ではないだろうか。敬語の意義というのは、相手に対する尊敬、リスペクトであるという意義を改めて、山田海遊さんには呼びかけてもらいたいものだ。最後に付言すれば、航空管制英語で英語を学んだ身としてはインテンションをはっきりと相手に伝えることに主眼を置くことが大切であり,すべて命令調を用いる業務もある。いわんや航空管制がその世界だ。なぜ、敬語を使わないか、迅速な意思疎通に必要ないからである。ただ、こういうエンジニア的な世界とハートとハートのつながりは別のものと受け止めた方が良い。ため口ならばハートがつながっていると考えるのは間違いで、相手の立場に立って考えてみると良いのではないだろうか。

裁判で罷免される大統領。

韓国のパククネ前大統領が憲法裁判所の審判により罷免された。

 

これを「民主主義」の健全な機能という人もいる。他方、アメリカではワシントン州のひとりの判事とトランプ大統領が争っておりシニカルな制度である。

 

しかし、支持率がゼロパーセントから5パーセントになっている大統領が自ら出処進退を明らかにせず、裁判所で罷免されるというのは、地位に恋々としている潔さがないことを示し、かえって民主主義よりも大統領の開き直りの方がおそろしい,という印象を与えてしまったように思う。

 

たしかに、同族会社の場合は、家で株式を持っているのであるから、多少株主の意向に逆らっても執行をしたり、代表取締役を自らは辞任しなかったりとするケースもあるが、上場会社では、株式の3分の2以上にNO!をつきつけられたら、辞任に追い込まれるというのが正常なガバナンスだ。そういう意味で、裁判で大統領が解任されるという事態は、その国や統治機構のガバナンスの低さを露呈しただけであろう。一例を挙げると、我が国でも、支持率が5パーセント台になった首相がいたが、当然のように辞任している。

 

朝日新聞の3月12日の報道によると、「罷免の衝撃が大きく」とあるが、今回の結果を「意外な結果」と受け止めているのは、朴氏くらいなのではないか。

弁護士の立場からも、裁判官の退任まで引き伸ばし戦術をしたりしたこともあったが、一番大きいのは、弾劾の対象者である朴大統領自体が憲法裁判所に出頭しなかったことである。「不通」と呼ばれる御姫様には裁判を欠席すれば「普通」弁解もないのだな、と裁判所に受け止められるという認識もなかったのだなと感じる。であれば私が裁判官でも罷免したと思う。

 

私が朴氏の弁護人であれば、彼女がしてきた業績をアピールするだろう。総合的な判断となるし憲法裁判所も大統領の発言を封じたり制限したりすることはできないと思うからだ。しかし、彼女は自らの業績をアピールすることなく、否定的事項の存在の有無という争点整理に同意しトライアルに入っていったのであるから,ある意味では結果は必然のようにも思われる。裁判所も和解や統合を強調していたが、憲法裁判所は朴氏がしたポジティブ要素を具体的に適示することはなかった。そうであれば、和解や統合はかなり難しくなると思われる。例えば、日韓合意一つとっても業績だと指摘すれば、今後の混乱なども防げたと思うが、今回の裁判は、朴氏の刑事裁判を見ているようであった。

 

今後は、革新派の文氏が優位といわれ、日韓関係は極寒の時代を迎えることになりそうだ。朝日新聞は同日の社説で大使の一時帰国を任地に戻すべきとするが、国家と国家との約束が守られるか、非常に重要な局面であり、戦略もなしに革新派とパイプが作られるなど無理のある主張である。新大統領の発足と日韓合意の誠実な履行と少女像の撤去などウィーン条約で定められた在外公館に対する侮辱行為の2点に前向きな解決が得られそうもない文氏では、早期の帰国は賢明とは決して言えないのではないか。

労務に顧問弁護士が置いた方が良い例

1 経営者が交代したばかりの会社

もめる会社で一番多いのが経営者が交代したばかりの会社です。

典型例が先代社長の時代からわが物顔に振る舞ってきた古株社員が、新社長に邪魔されたくないという理由でトラブルを起こすものです。

しかし、同族会社の場合、本来、こうした番頭格は会社承継と同時に退職させることが鉄則です。

それが、裏で労組を結成することもあります。ある意味、新社長には酷なのです。

だからといって後悔のある解決や承継したばかりでいそがしいため、経営判断の優先順位を間違えてはいけません。消防士的な仕事はプライオリティは高くあ りません。そこで相談相手として、法律顧問として労働に強い顧問弁護士を置いておく必要があるのです。

 

特に、つめきれない、という意味でつまらないもので、二代目や後継者社長に嫉妬している労働者もいます。

よくあるのが、社長は莫大な個人資産を持っているという激しい思い込みや適切な利益分配が行われていないという思い込みに基づく分配への不満です。

 

私がいわれたのは、「自分は、妻がいる」といわれたのですが、それは新婚さんですからいるでしょう、こどもはいないでしょうが、しかし、それは私も同じで、奥さんもいますし、「社長は、自分の家庭のために莫大な役員報酬を得ている」みたいな思い込みはやめてもらいたいところですが、客観的な判断がもはやできなくなっているケースですね。また、自分の結婚式に対する慶弔金がもらえなかったという主張もありましたが、少し失笑してしまいました。慶弔金規定があっても、入社数年でも数万円程度であって、社会通念に照らした客観的な判断ができなくなったモンスターは、「社長の個人資産があるから会社は関係ない」といってきます。現実に、私のところにいたモンスターは一例を挙げると、今月の月次は赤字なんだ、という話しをしても「そんなことは関係ありません」と述べたのです。

 

結局、モンスターをおいておいたら会社資産が食いつぶされてしまうだけと云わざるを得ないです。

 

2 草食系経営者はトラブルに悩まされるので法律顧問を置いた方が良い

経営者の人柄が良いというのも労使間のトラブルが発生しやすいものです。解雇した経験でも役員である私には良くしてもらったといわれることがあるのです。では、稲盛イズム的ななぜ優しい社長に反抗されるのでしょうか。それは必要以上の甘やかしが背景にあり、上下関係という雇用関係の鉄則が結果として崩れてしまったからといえるでしょう。つまり優し過ぎるといっても、上下関係の存在を忘れさせるような言動があった場合は、きちんと懲戒処分をしておくなど,労働者に、「あなたは雇われで会社や事業者の存続・維持、ひいては社会貢献のために雇われているので業務命令には従う義務がありますよ」ということを分からせておく必要があるのです。

こうした結果は、「独立騒動」が起きるというのがパターンではないか、と思います。そうすると、労務のみならず秘密保持などの誓約など予防法務の観点も増加してくる、ということが分かります。最近は器質的に草食系、調整型の経営者が増えているような印象を受けますが、野心を持っている従業員からすれば、同族会社では一生役員にはなれないのですからトラブルが起きるのは必然といえましょう。私の法律事務所でも、雇用された勤務弁護士が、「弁護士費用が自分のものにならないのはおかしい」といわれたことがありました。しかし,法律事務所には間接業務に従事している人もいますし,賞与も支払っておりそういう形でも報いていますから,司法書士会の理事者に笑い話として話したことがありました。もっとも、自分が「雇われ」であることを忘れてしまうと、糸が切れた凧のようになってしまいます。はっきりいって、使用される立場を忘れた社員は横領や勝手な値引きをします。現実にその弁護士は300万円で受注した金額を40万円にしており、260万円も事業体に損害を与えていたのです。

 

結論的に、使用される立場を忘れた社員は排除しなければなりませんが、何分、自分の勝手な理屈が先行します。一例を挙げれば、「アルバイトが制限されているんですよ」という言い分。精力分散防止義務があるのだから当然禁止すべきで、許容するかは使用者の経営判断事項で雇われに指図される筋合いはありません。

「ほらあ,議論になっちゃうんですよねえ」というモンスター。議論をしないということは自己の一方的意思の押し付けしかできないということですから,こういう場合は、退職勧奨書を手渡したうえで,応じなければ解雇というのもやむを得ないかもしれません(事案によりけりですね)。

「社長の友人の社長に電話しちゃいますよ」というモンスター。「勝手にどうぞ」という気構えが必要ですね。私も事前に電話がいくかもしれんが他社の人事に口出し無用とくぎをさしておきました。結果的に、調整型の草食系社長というのは取引先なり、子会社なり、仲裁人として登場することがありますが、これは苛烈な労働紛争の実態を全く知らない素人の意見です。それくらい労使の見解はへだたりが大きいと考えた方がよいですね。そうしなければ権力闘争が勃発し、会社が分裂するなどの深刻な事態になるかもしれないのです。

 

私の場合は、草食系調整型弁護士にこういって注意喚起しました。そもそも、従業員を雇っていない弁護士である貴方が上下関係たるものの厳しさを知ることができるはずがない。私はそれなりの期間、取締役を経験したうえで独立し従業員との間には上下関係があるのは当然である、と述べました。そして、問題の背景には、某弁護士が「雇われ」という意識が薄まっている点が問題なのであり、雇用の本質に関わる問題で、「まあまあ」のような仲裁などできるはずがない、と厳しく断じました。この点も、かって大型事務所で団体交渉などを担当したことがある経験がある者とそうでない者との違いではないか、と思います。

 

職人の世界では人情や人間味も大事なのですが、それが通用しない相手もいるということも意識しましょう。特に建築などのように独立が容易な業種などでは、清濁あわせ持つというくらいでなければならないと思われます。要するにバランスが大事で、法律をまったくまもらない経営者も問題だし、易しいだけ、厳しいだけの経営者も問題なのです。そのバランスをうまくとらないと、定着が得られないといえます。

3 頭の回転の速いモンスター

頭の早いモンスター社員は、団体交渉をしても論点をずらしてしまいます。ですから顧問弁護士などが同席していないと、本筋ではない討議になっていくのです。多くの団体交渉が長ったらしいのは、こういうモンスターの傾向があるからです。例えば、「あなたは、プロジェクトには15件しか参加していませんよね」といったら,「あなたが参加の打診をしないからです」と反論します。経営側が,「土曜日の参加が必要なプロジェクトがほとんどをしめるためほとんど君が断り続けたではないか」といえば、「たとえばIさんの件、(臨時に)土曜にプロジェクトやりましたよね」などと臨時に土曜に実施された会議をもって自分は断っていたわけではないと話しを摩り替えて誤魔化しているのです。

私は、かねてより土曜出勤を求めていましたが、結婚をするというので、食事をごちそうしてあげたら、土曜日は「ぼーとしている。」と酒の場で、話しが出たので、やはり上下関係のバックが必要です。裁判所もパワハラはほとんど認めません。

愛知県名古屋駅ヒラソル法律事務所の司法書士求人

現在、当事務所では、事務所規模の拡大のため、司法書士資格を有している方を募集しております。当事務所では、所長も司法書士資格を有しており、リーガルサービスの拡充やお客様に近い方として、司法書士が適任と考えております。当事務所の経営理念やクレドをこらんになって共感くだされば幸いです。名古屋駅に近いおしゃれなビルで一緒に働きませんか。(この求人の有効期限は4月15日までとさせていただきます。)

 

詳しい条件などは、面談の際にお話しさせていただきます。

 

応募資格:司法書士有資格者(簡易裁判所代理権を持っていると望ましい。)

年齢:30歳までを優先採用

*接客力がある方を優遇、*未経験でも問題ありません。

*週休2日(振替休日あり、一部土曜勤務)

*有給休暇などは労働基準法、就業規則に準ずる。

*残業は、基本的になし、仕事後を有意義に使えます。

*終業時間 A 10:00~19:00

B   09:30~18:30

*エクセル、ワード、OA機器、電話などの操作などは、必須です。

*短大卒以上が望ましい。

*交通費は1万5000円まで支給

*社会保険完備

*昇給は能力に応じて

司法書士総合職

基本給25万円

その他能力給等対象は委細面談。2万円程度

合計27万円

*お仕事の内容は現在、所長の服部弁護士の補佐です。また、その他、司法書士業務など委細については、意向を尊重させていただきます。

*ご応募は、

itoh@horitsu-supporter.jp

あるいは、当事務所宛てに郵送でご郵送ください。(郵送物の返還は行っておりません。ご了承のうえお願いいたします。)

書類審査のうえ面談の日をご連絡いたします。また、合格者の発表は合格者に対する通知で代えさせていただきます。

①履歴書及び②職務経歴書ないしパーソナルステートメント、③資格を有する書面の写しを添付してください。

清水富美加さんの騒動は・・・

テレビは、女優でタレントの清水富美加さんの出家騒動に揺れている。

 

しかし、昨日、ミスターサンデーをみていて、宮根氏の無責任、という批判に少し違和感を覚えた。宮根氏は終始事務所を擁護していた。

 

いずれも弁護士が話しているので、どちらが正しいか分からないのだが、記者会見で見ている印象で物を云うと、明晰に話しているのは教団側で、事務所側もやましいことがないのであればギャランティーを明らかにするなど,対抗できると思いますが、教団側から指摘される水着はやりたくなかった、性的対象とみられている、心が追いついていかなかった―という言い分は、専業主婦の女性によくみられる心理状態であり、社会的事象に心が追いつかないという現象はよく起こるものである。これだけ具体的に指摘されると、事務所側は劣性のようにみえる。

 

全員がフジテレビの女性アナウンサーのように男勝りで頭脳明晰というわけではない、と思うのだ。

 

他方、教団側も心の支えになってあげるのは良いと思うのだが、未だ20代前半の女性を「出家」というように大々的に公表する理由もどこにもないような気がする。かくまってあげているのに、それをアピールするというのは普通はしないのでおかしい、といわれればそのとおりで、そうすると具体的な主張も「時期がずれているのでは」「最近はこんなに高額なギャランティをもらっていいんですか」という声もあったという指摘にも説得力が増してくるところである。

 

しかし、なんとなくいわゆるAV出演強要騒動を思い出してしまったのは私だけだろうか。まさに宮根氏がいうように「一回契約したのだから」「プロだから」「責任があるのだから」「とりなおせば多額の違約金がかかる」・・・。おそらくこの辺りがひっかかったのだろう。

しかも映画のような高額の違約金でも所属タレントが病気や精神的失調で働けなくなることはあるはずであって、なぜ保険などでリスクヘッジをしないのか、弁護士になってしまうのか、ちょっと疑問だ。原理原則は、給与制なら労働者とすれば1カ月前に通知すれば辞められるし月給制でなければ2週間前にやめられる。今回は、期間の定めがある契約のようであるが、こういう虐待のようなことになるから契約年数は制限されている立法趣旨が改めて正しいのだな、と思ってしまった。

 

他方、清水氏も、出家は公表せず、次第にフェードアウトしていけばさほどの問題は生じなかったのに、やはり派手に出家して広告塔になりたかったのか、ならされたのか。いずれにしても、清水氏がおいてきぼりで、教団VS事務所の争いは、どちらの味方もしたくないケースであるかもしれない。

人の判断は細部から―シュシュからの助言

「一事は万事」という授業的な言葉がある。

 

ショーベンハウアーは、人はいつもすべてを無防備にさらけだしているわけではない。むしろ隠している部分が多く、ふたんは他人に見せる顔というものを用意して上手に使っている。月が裏の面を普段は見せないように。

 

人が自分を装う技術はとても巧みだ。弁護人として向かい合って培った洞察力をもっても民商系の詐欺師は手ごわい。社交的な交際用の声から表情のようなものを持っているように、内面や本音を気付くのは容易ではない。

 

ただ、最近、ある人間の本性に気づいた。その男は、あとて社交的な「技術」をもって取り繕うとしたが、ただ、準備することなく不意に出てしまった咄嗟の仕草、突然の反応は、心の理論からいえば心のダムが少ない人に特徴的だ。こういう人は、その人の裏面や本当の性格、そして人間としての正しさ、品性というものがひょっこりと顔を出すことがある。取るに足らない問題に対する礼儀をわきまえない行動・態度、あるいはその場限りの上司ないし部下に対する態度やあしらいに、その人のエゴイストぶりが露出するのだ。そこまでよく観察して、その人の人間性を判断しても遅くはないと思う。

 

また、今の自分は過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分だけだ。いい人だと思っていても悪い影響を与えることもあります。よかれと表面的にその場限りで調子のいいことをいう人間は大勢いるのだな。簡単に仲裁人気取りではいけない。いいことを口にする人間にすがる傾向があるのですが、本当は逆境にいるからこそ、本当のことを助言してくれる人を大切にすることだと思う。特に、善人ぶっていても、「自分には関係のない」ことは、深い意味もなく適当な助言をして表面的なことをいう人ばかりと関わっていたら。

 

シュシュは、「パパは人を見る目がない。イエスマンばかりをそばにおいて裸の王様になっている。気を付けた方がいいよ」という。他方、叔父である僕は、「叔父さんは、本質を見抜いてしまう人だからイエスマンばかりではないけど・・・(いろいろ書けない苦言)」

 

パパも叔父も、一番苦言を呈するのを惜しまないのは、シュシュ(ハル)のようです。かくいう私も苦言を呈した友人がいましたが、結局、メールは帰ってこなくなってしまいました。その場限りの調子のいうことをいっていることに気付いたのでしょうね。

名古屋の法律事務所(合同のありかた):弁護士法人化についての若干の考察(論文)

弁護士法人化(全体)についての若干の考察

弁護士 服 部 勇 人

補遺

 

かかる論文は,当職が名古屋第一法律事務所時代に執筆したものであり,第一法律事務所は法人でもなく、個々の個人事業主の連合体にすぎないから,著作権は当職に帰属する。そこで,かかる論文については,法曹人口の増大かというアプローチから起案されているが,むしろ最近は合格者の数が低迷しリクルートもままならないという話しも聞く次第である。はっきりとは覚えていないが,2012年12月に執筆されたものとデータ上記録されており,その後の弁護士業界をとりまく動きは怒涛のものがあったといっても良いのではないだろうか。今から5年ほど前に執筆した文書を今になって公開することにどれほどの意味があるか,ということもあるが,私は,上記事務所でパートナーとして働いていたとき、文字通り命を削って働いていたつもりである。あるいはパートナーとしての職務を全うしたものである。

その中で、少人数でありながら,組織化を考えたり、あるいは、弁護士法人化を考えたりする弁護士も少なからずいるのではないかと思う。名古屋で30名が組合契約を締結している「奇跡の事務所」を分析することにより、我々市井の弁護士も得るものがあるものと信じる。また、時代の変化もあるが過払いとの架橋期、そしてその後の弁護士のサービス業化。みるべき理論的展開は少なくないと思われる。

そこで,本稿については、多少、名古屋第一法律事務所のプライバシーもあるが,組織自体は、例えばTMI法律事務所と似たようなものであるし,5年前の情報であること、また論文という性質上、同事務所の個人情報についての叙述はしていないつもりである。学術の自由という観点からも、アメリカのトランプ政権が誕生し、「オルタナティブ・ファクト」といって誤魔化されてしまう、今日このごろ、出版されている著作には良いことしかかかれていないであろう。そこで、本項をみなに公開し、思想の自由市場に提供しようと考えた次第である。

 

2017(平成29)年2月7日 名古屋駅の桜通りの交差点を見つめつつ

服部勇人(立命館大学大学院,法務博士)

 

第1 はじめに

1 「法人化PT・中間報告」時との外部環境の変化

本稿では,「名古屋第一法律事務所」を弁護士法人とすることについて,総合的な再検討を加えることを目的とする。

当事務所には,「法人化PT・中間報告」(平成17年4月2日付)があるが,平成17年は過払バブル全盛のころの事実関係が前提とされており,その後の弁護士業界の外部環境と当事務所の内部環境という事情の変更がある。

全裁判所の新受件数は,平成13年度約560万件から平成22年度430万件に減少している。平成22年度の弁護士関与事件は約50万件である。

弁護士1人あたり,平成13年度が18件,22年度が17件である。

しかしながら,金銭を目的とする訴え約100万件のうち半分の約50万件が過払訴訟である。当該案件は貸金業規制法の改正により事件そのものが新たに生じることがなくなっている。

したがって,従前最も件数が伸びていた「金銭に関する訴え」に対する需要の減少は確実である。

なお,専門的知見を要する訴訟として,労働関係は1.4倍,建築関係1.2倍,医療関係1.2倍,知的財産(18年度との比較)1.1倍,外国人事件0.4倍,なお東日本大震災の影響もあり外国人の帰化数も減少したとされており,外国人事件は今後も当面減少すると考えられる。)である。

他方,平成24年4月現在の弁護士登録者は約3万2000人となっており,毎年2000人ペースで増加を続けており,平成26年には登録者は約4万人に達する。

以上のように,弁護士業界は「金銭に関する訴え」の約半数を失い,他方,5年で1万人の新規開業者が現れるという過当競争時代に入ったといえる。

参考までに鈴木秀幸らの著作を引用すると,鈴木弁護士の平成29年の売上予測は,弁護士が毎年1500増,従来よりも毎年の売上増加ペースが100万円落ちるとの前提に,個人事務所の売上はひとり1905万円,中央値1467万円,所得平均は762万,中央値は570万円となるはずだと指摘する(平成19年度は,売上平均が2881万円,売上中央値2306万円,所得平均1132万円,所得中央値885万円(当事務所は,平成19年は売上平均が2929万円,売上中央値2276万円,平成23年をみると売上平均が2220万円,売上中央値が1945万円であり,売上減少トレンドの流れにある。)。

2 内部環境の変化

いわゆる過払訴訟は,平成18年及び19年の最高裁判決を受けて事件数が上昇し,当事務所においてもその恩恵をもたらした。

例えば,当事務所において過払事件が事件の半数を占めるある特定弁護士の売上をみると,平成19年8700万円,平成20年1億1000万円,平成21年1億円,平成22年7000万円と推移している。

事務所入金ベースでみると,平成19年2億8000万円,平成20年3億1000万円,平成21年2億8000万円,平成22年2億5000万円である。

当事務所の事務所入金ベースの過払事件に対する依存度は,平成19年43.53パーセント、平成20年46.55パーセント、平成21年46.18パーセントで推移し,入金ベースで約半分を過払・債務整理に依存するという「過度に過払・債務整理に依存する法律事務所」となった(上記で取り上げた特定弁護士の依存度もほぼ同じであった)。

他方,過払バブルに踊った平成18年及び19年以降,事務処理需要が当事務所で拡大したことから,事務局員を15名増員する(その後4名退職)大胆な拡大策を採用した。その結果,弁護士事務所経営の経費の中心である賃料,労務関係費が増加することになった。労務管理費(法定福利費を含む)は、平成18年が、1億5970万464円であったものが、平成22年には2億2468万8992円にまで,実に約6500万円も劇的に上昇したが高止まりのままであり,当事務所の経営を圧迫する要因となっている。

以上のように,過払訴訟に対応することが前提となっている人員配置であるから,既に述べた外部環境のみならず内部的要因を考慮に入れたパラダイムを模索する必要がある。

3 今後の目指すべき方向

(1) 4つの視点

私見は,各弁護士の目指すべき方向として矛盾した二つの方向性を示さなければならない。このうちの一つは,弁護士法人を導入する必要性を説くものとなろう。

すなわち,弁護士人口の増加とそれに比例した需要が存在しない場合,どうしてもひとり当たりの手持ち事件数は減少することになる。

そうだとすれば,離婚事件一つを例に挙げても手持ち事件数が減少すると考えられる。

この見地からいえば,当事務所のような一般的な市民事件を中心に重点を置いて業務を行っている法律事務所からすれば,「一通りの事件」は取り扱わなければならない可能性が出てくる。例えば,「税理士は相続税を知らない」とよく指摘される。これは,税理士試験において相続税法が必修ではないことと,相続税申告に対する税理士関与事件数と税理士の数との比較で後者の方が多いからといわれる。つまり,一般の税理士にとって相続税の申告案件は1年に1回来るか否かということである。弁護士の人数が増えてくると弁護士にとっての離婚事件も同じようになってくる可能性すらある。

(2) あらゆる事件に平均的な能力で対処できる弁護士

これまで弁護士は,取り扱ったことのない案件や苦手な案件は取り扱わなくても断れば良かったが,弁護士ひとり当たりの絶対的な事件数が減少してくると,いわゆる選り好みをするということができなくなると推測される。平成20年の「弁護士実勢調査」によると手持案件は30件未満が45パーセント,なかでも10件未満が15.5パーセント存在している。すなわち,約4割の弁護士の手持件数は29件以下ということであるから,なかなか経験は蓄積されるだけの案件に恵まれないことを意味している。

したがって,当事務所の弁護士としては,一通りの事件において少なくとも平均的な水準による処理が可能なだけの能力が求められるというべきではないかと思われる。受任するためには専門性を高めるべきだと声高に叫ばれるが,現象的にとらえれば専門性を醸成しにくい外部環境になることを意味する。

たしかに,一定経験年数のある弁護士は結果的に事件の種類の選別が進んでいると考えられる。これはいわゆる「ブティック型」のように専門化が進んだことにより,依頼者から特に依頼を受けることになったためと考えられる。

逆にいえば,専門性を備えていない弁護士は事件の選り好みはせずに,何でも取り扱うというスタンスが必要となってくるし,このことは当事務所自体が弁護士に対して求める資質であるとも考える。

以上の見地からすると,いわゆる企業法務に特化した法律事務所のように専門性が求められないことを意味するから,専門性の棲み分けや分業を通して,顧客に対する満足度を上げていくというアプローチが重要ということにはならない。

この視点からすれば,法律事務所を組織化して専門性の棲み分けや分業をする必要はないから弁護士法人化も必要ないということになると考えられる。

もっとも,近時話題に上がるのが集客に関しての公平性の見地から,弁護士法人とする合理性があると説かれることがあることは注意しておきたい。すなわち,これまでは個々人の弁護士の人間関係ないし伝手を頼りに営業していたが,今後はホームページによる集客が主流になっていくという考え方である。そうすると,個々人の営業力ないし顧客誘因力によって集客をしたものではないから,その売上を偶々担当になったものに帰属させて良いのかという問題が生じる。

こうした問題は「収支共同」=弁護士法人とすれば避けることのできる問題ということはできると理論的にはいえるだろう。

(3) 専門志向型アプローチ

一般企業としては,従来から契約している顧問弁護士に加え,案件に応じてその都度,専門の弁護士を使うのが通例である。

経営側弁護士の所感としては,従来からの弁護士の専門性がさらに細分化され深化してきているのだという。特に,多くの弁護士を抱える大手事務所の場合,競争圧力が強まる中で専門化に力を注いでいる。

またオランダ絵画にみられるが,かつての弁護士は,「弁護士=法律を知っている人」であった。つまり,法というものは「発見」するものであり,法に無知な市民からすれば六法全書の代わりだったのである。ところが,インターネットの普及や弁護士の無料法律相談の普及などによって,社会全体の法律知識・意識のレベルも上昇した。

現在,個別案件に対して「法をあてはめる」ことの方が重要性を増していると考えられる。現実に,弁護士会に対する苦情の中にも「インターネットで得た以上のことを教えてくれなかった」というものが増えている。そういう意味では,弁護士の法律知識が深くなければ応用も利かない。

そうだとすれば,ひとりの弁護士で応用可能なほど知識を獲得することのできる分野には限界があるという前提に立つと,専門分野化を推奨するべきということになると考えられる。

以上のように,専門分野化を進めて,それが集客につながっているのであれば,それはいわゆる「ブディック型」として望ましい弁護士の執務のあり方の一つであるということはできる。

この視点からすれば,法律事務所を組織化して専門性の棲み分けや分業をする必要があり,弁護士法人化はその延長線上のものとして検討に値することになる。

(4) 経済的結合のあり方

結局のところ,必ずしも弁護士法人か民法上の組合か,という二者択一の議論とはならないが,弁護士法人化をするということは,収支共同事務所か,経費共同事務所にとどまるかということにあると考えられる。

弁護士法人となれば収支共同に必然的に改革されることになる。たしかに,弁護士は税理士や社労士と異なり収入に不安定な面があり,自己の収入が少ないときに他の弁護士の収入で補完して収入の安定化を図り,さらに専門化を進める際に立ちはだかる経済的リスクも補完しやすくなる(他方でフリーライドの懸念も生じることになる。)。また,特定の専門分野における売上の波,採算の変動を相互補完することができるという面がある。

また,弁護士法人ということになると,自己のみの経費分担分に関心がいきがちという弊害がなくなることになり,専門性を発揮して事業に対する共同の取り組みも期待することができるようになる。

こうした観点から,弁護士法人とは,収支共同となることを意味することになるから,経済的結合のあり方を避けて,法人化の議論をすることはできない。

(5) 人財に「投資」するという視点

人に対する投資という視点を持てるか否かは,経済的結合のあり方にも関わる。もちろん自分の腕を磨くのも大事だが,ひとりの弁護士では処理できる業務・専門性にも限界があるし,ある時点で成長は止まるものである。法律事務所を安定的に継続させる場合,他の弁護士を育てていく必要がある。

このことは,「自分ひとりで消化できないほど仕事が増えたら人を雇う」という従前の弁護士のスタンダードを否定する必要がある。単に余ったものを他人に分け与えることは投資という発想とは異なるからである。

平成21年6月発行の「自由と正義」によると,単独事務所の弁護士の売上の平均値は平成19年度では2881万円,中央値は2306万円,所得は1132万円(雑所得を除いた数字。過払を除くと982万円となる),中央値は885万円である。しかも過払いを除くと,売上平均は2501万円にまで下がるのである。

当事務所の弁護士は、平成19年は売上の平均値が2929万7773円、中央値が2276万3489円、平成23年は平均値が2220万8109円、中央値が1945万4731円である。

そもそも、弁護士業界の総売上は年約9000億程度(医師業界は35兆円である。)であり,自然人・法人ともに減少トレンドを続ける中で,マクロ的な総売上が大きく伸びることは統計的にはないといえるだろう。

したがって,こうした外部的状況に事務所として,どのように対処するかという観点も重要であり,「ひとりの漁師がいっぱい魚を捕れるようにするべきだ」「いっぱい魚を捕るために漁師を増やすべきだ」という短期的視点の他に長期的視点も持つ必要がある。

この外に,「乱獲により魚が減少した場合にどのように対処するのか,養殖,資源の保護に取り組むべきだ」「将来も安定的に魚を捕ることができるように漁師を育てるべきだ」という,種まきの発想もあり得る。

4 経費分担事務所に対する指摘

本稿は,理論的可能性を示すことを目的とするから,筆者の個人的見解と異なることもある。検討に入る前に,金崎弘之弁護士の経費分担型の事務所に対する手痛い批判を引用しておこう。

「単に費用を分け合っているだけだから,事務所は個人事業主の寄せ集めと考えられる。すると,力を出し合って事件を解決しようとはならないし,誰かの仕事を他の人がフォローするということもない。共通のビジョンも生まれなければ,改善のための組織的取り組みもまったくない事務所ができあがる。いうならば,弁護士が事件の解決を経て得た多様なノウハウは,その人の中で永遠に眠っていくのだ。費用共同事務所は経費節約のために寄り集まっているだけで,実態こそ,一人事務所と何ら変わらない。さらに明かしてしまえば,費用の分担や設備の使い方で内輪もめをしている話をよく聞く」

もっとも,弁護士法人になれば,おのずと共通のビジョンを持ち組織的取り組みができるというのも甘い考えに過ぎるように思われるが,ノウハウが永遠に眠ってしまうなどの批判には真摯に向かい合う必要があると思われる。

第2 弁護士の共同事務所と弁護士法人

1 組合契約

当事務所は,複数の弁護士らの共同事務所として運営していくことに合意し成立され,その運営に要する費用(事務所の賃料、労務関係費、光熱費、水道代など)は,一定の法則に従って負担するとの合意があると考えられる。

したがって,当事務所は,法律事務を取り扱うという共通の目的を有し,本件事務所を共同の事業として運営していく組合契約を締結したものと認めることができる(東京地判平成22年3月29日判時2099号49頁)。

なお,共同事務所を開設する合意は,経費分担契約であるとの主張も成り立ち得るところである。

しかしながら,本稿が引く裁判例を基準にあてはめると,当事務所では単独で事件処理をすることもあるが,大きな事件については共同で受任することがあり共同して事件処理をすることもあること,労働組合の顧問については事務所名義とされていること,共同で事件処理をしたものについては着手金及び報酬を折半している(一種の収支共同的な面もないことはない。)こと,各弁護士の経理情報を含めてすべての弁護士に公開されていることに照らすと,弁護士間における当事務所に関する弁護士間の合意は,当事務所の経費の分担に限ったものとは認められない。

したがって,単なる経費分担契約であるとの主張は成り立ち得るが,近時の裁判例に照らして客観的な主張を重視する本稿では採用することができない。

以上のとおり,当事務所を構成する各弁護士は,民法667条以下の組合契約を締結したもので,これにより成立した事実上の団体ということができる。

例えば,「法人化PT・中間報告」は,弁護士法人とならなければできないこととして,「新たな意思決定システム」を提案している。しかしながら,当事務所は民法上の組合であるので,当事務所の業務の執行は組合契約で委任することができる(民法670条2項)。この視座からすれば,事務所を機動的に動かすために取締役会のような役割分担をすることは現行システムの下においても可能である。

民法では「業務の執行」(670条1項),「組合の常務」(670条3項)が区別され後者は単独で執行が可能であるとされていることからも,このことを裏付ける。

したがって,本稿は,当事務所が民法上の組合であることを明示的に自覚して,その上での組織再編を行うことも一つである(この点を自覚すると一部法人化の議論につながりやすくなると思われる。)。このように,「新たな意思決定システム」の採用は,ただちに弁護士法人というシステムを採用するか否かの要因とはならないと考えられる。この点で「法人化PT・中間報告」のうち,これを理由に法人化を唱える部分は理由がない。

2 弁護士法人

(1) 法制度上の特色

弁護士法人の法制度上の特色は,以下の3点である。

① 業務執行については全社員が業務執行権と代表権を有するが,特定事 件につき担当社員を指定することができる。

② 全社員の連帯無限責任(ただし,指定事件については,指定社員のみが連帯無限責任を負う)。

③ 支店が設置できる。

(2) 事実上の特色

弁護士法人の事実上特色は,以下の5点である。

① 事務所の継続性・安定性

② 経理処理の合理化

法人格を得ることができるので,法人名義の口座,財産が持てる。

③ 雇用関係の明確性

④ 社会保障の充実性

⑤ 税法上の問題

第3 検討

1 法制度上の特色について

法制度上の特色として①及び②については,民法上の組合についてほぼ同じであるということができる。

ただし,大手の法律事務所が法人化しないことの理由として扱っている案件の経済的利益が大きく,法人にすると「無限連帯責任」を負う義務が生じてしまうということが案外大きいと思われる。これは,弁護士の執務の姿勢からすれば無限連帯責任を負うというのは当たり前のことであるかもしれないが,法人内の他の弁護士の行為にまで責任を負うことに対する恐れ,あるいは感情的反発は案外大きいものがあるように思われるが,これは,民法上の組合契約であっても大差ない話ではないかとは思われる。

したがって,弁護士サイドからすれば,法制度上の特色として,③の「支店を設置することができる」ということがメリットの中心と考えられる。

他方,②の補足として,弁護士法人として組織化されると,債務の履行が強化されるという面がある。この点は,「部分的弁護士法人化」を採用すると仮定した場合,弁護士法人を構成しない者は,無限連帯責任の負担を免れることになる。したがって,「部分的弁護士法人化」を行うとするならばこの点に関する手当ては必要ということになると考えられる(もっとも,賃料未払や賃金未払いのケースについては,弁護士法人を構成しない者は個人で連帯債務者となるようにすればよいし,対依頼者との間では弁護士賠償保険に加入してリスクをヘッジすれば足りるという面もあり,それほど深刻な問題とは考えられない。)。

2 事実上の特色について

①については,事務所の継続性・安定性が増すという面である。たしかに,法人化をすれば個人と財産と法人の財産は切り離されることになるから,たとえ構成員が少ないものでも事務所の継続性・安定性が増すと考えられる。この点は,弁護士法人を採用することのメリットということができる。

しかしながら,当事務所の理念には,「世代を継いで」という用語が使用されているように,組合たる当事務所においても世代承継は自覚的に意識されており,年代構成も著しく歪んでいるとまではいえない。

したがって,事務所の継続性・安定性という見地から弁護士法人を採用することはあり得る選択肢であるが,もともと当事務所の場合,組合を構成する弁護士の数が多いことからひとりの弁護士が死亡・脱退・後見の開始・破産などの事情が生じても,直ちに事務所が消滅してしまうというほどのインパクトまではない(なお,経済的に当事務所に対する貢献度が高い弁護士,すなわち事務所入金が多い弁護士に上記の事態が生じた場合については,弁護士法人であろうが,民法上の組合であろうが,いずれにしても経済的打撃を受けることは同じことである。すなわち,これらは弁護士法人になったからといって免れるものではない。その意味では,弁護士法人であろうとなかろうと,ひとりの弁護士に経済的に依存しないようにする具体的な取り組みが必要であると考えられる。)。

②の経理処理の合理化については,対等型の共同事務所の場合,もともと固定経費分担制が多いと考えられるので,毎年固定された額を入金するにとどめ,各人の弁護士の収入は,他の弁護士には不明であるというケースが多い。逆にいえば,各人の収入をブラックボックスにした運営が,「経費分担契約」の事務所運営の特色といえる。

たしかに,経費分担契約型の事務所との比較においては,経理処理が明確化されることから,この点もメリットであるといえる。また,損益計算を明確にすることができることもメリットである。

しかしながら,当事務所は,既に経理処理についてはすべての弁護士に公開されており(民法673条参照),損益計算の明瞭化は残された課題であるが,一定程度の経理処理の合理化も図られている。

強いていえば,事務所名義の口座を持つことができないことがデメリットである。これは一般には重要な問題であり,権利能力なき社団の代表者が個人名義で預金をしたものが相続財産を構成するか否かで紛争を生じることがあるのと同じである。

しかしながら,当事務所は,事務所名義の口座は配偶者が弁護士である者に限られており,事実上の手当がされていることもあり,この問題に対する各弁護士の危機感は特段ないように思われる。

以上のとおり,②についても弁護士法人とすべき理由とならない。

③の雇用関係の明確化というのは,主にいわれるのは,いわゆるボス弁とイソ弁の区別が曖昧であるのが明確化されるという趣旨である。例えば,イソ弁であっても個人事件の約3割を事務所に入金しているケース,あるいは競業は許さないということですべてを入金させているケースがあり,売上が多いといわゆるボス弁であるのかイソ弁であるのかよく分からないというケースもみられるのである。

この点で,いわゆるパートナーに相当する「社員」と「非社員」を明確に区別する弁護士法人化は,雇用関係を明確にするということになると思われる。

しかしながら,当事務所は,もともといわゆるイソ弁という概念が存在していないので,明確化すべき雇用関係がそもそも存在しないということになると思われる。

ところで,③の雇用関係の明確化に関して,今後は,弁護士法人にとらわれる必要はないが,いわゆるイソ弁を採用することを認めるということも検討した方が良いと思われる。

その理由は,以下のとおりである。

本稿の視点として専門化が志向されていることは既に指摘したとおりである。しかし,個人的な見解で述べると当事務所のような法人化していない法律事務所の場合,専門化は,ある「ブティック型」の弁護士が特定の勤務弁護士を雇い入れて,ノウハウを教示するとともに,特定の専門性のある事件を集中的に処理させることにより,経験を蓄積させ事実上達成されてきた例が多いのではないかと感じる。

また,法曹人口の増大に伴い若手弁護士を雇い入れることにより規模の拡大を志向する法律事務所が増えている。このような事務所では,規模の拡大とは裏腹に専門性は蓄積されないことになる。いわば平均的な水準でいろいろな種類の案件を処理することができるという見地からすれば,弁護士は専門化しないことになり,コモディティ化が進むことになる。逆にいえばコモディティ化した弁護士は,安価に雇い入れることができる。筆者が聴いた話では,東京から登録替えをした女性弁護士が藪から棒に事務所を訪問し,「給与は5万円で良いので雇って欲しい」という話も聴いた。

現在の相場観からすれば,若手弁護士を雇い入れる年収入は300万円から500万円程度である。当事務所の場合,事務員の給与水準が終身雇用を前提としているので,今後は弁護士が当事務所の事務員として勤務することを希望するという事態も考えられる。

実際に法テラスの勤務弁護士の給与は初年度20万円台であるし,当事務所の事務員の給与水準に照らしても特に劣っているものではなく,非現実的なことをいっているつもりはない。

また,本人の希望によりパートナーに移行するということも考慮することもあり得る。

①「何でも志向型」,②「専門志向型」では,すべてに対するアプローチが異なってくる。

何でも志向型であれば事務員は庶務的な業務を中心にしてくれれば良いということになるし,同等の給与で弁護士を雇用できるのであれば,その方が経済的合理性は高いことになる。

しかも,役割分担という発想がないので法人化や収支共同にも関心はないということになる。弁護士法人など論外ということになる。リスクの分散も現在のような売上比例型の事務所入金システムであることを前提とすると,費用を分け合うという面でのリスクの分散は勿論あるが,単に「金を節約する」以上の論拠を必ずしも明確に見いだすことができず,戦略性に欠けたもたれ合いの元凶になる恐れもないこともない。

反対に専門志向型では,専門性を身につけるためには,一定程度の専門性の蓄積が重要でありそのためには資本の投入も避けられない。またリスクの分散も目的型ということになる。また,事務員にも専門性を備えて欲しいということになるし,専門外のことに対応してくれる者を求めることになり役割分担の発想が生じることになる。役割を分担するということになれば法人化や収支共同に進んでゆくことになる。

後者の見地からは,全体を弁護士法人化することに好意的な評価をすることになる。重要であるのは各弁護士が専門志向をするアプローチに賛同しなければ収支の相互補完機能を強める以上,都合の良いフリーライドが横行する懸念もないではないだろう。

④の社会保障の充実というのは,現在は個人事業主の集合体であるため,国民年金及び国民健康保険に加入することになるが,弁護士法人となると厚生年金や健康保険に加入することができる。一方で,個人所得に応じて社会保険料の負担が大きくなるとの指摘もある。例えば、弁護士が月100万円の報酬をとるということになると、税金以外に10万円近い社会保険料の負担ということになりかねない。

これらはキャッシュフローの面から行き詰まる可能性すら存する。

⑤の税務関係であるが,この点は一長一短がある。法人化をすれば,交際費に制限が生じることになるから,交際費が無限大の個人事業主と比較すると交際を主要な営業面にしている弁護士からすると不満があるところと考えられる。

もっとも,検討に値するとすれば,弁護士法人の場合、弁護士の収入には所得税がかかり,弁護士法人の当期純利益には法人税が課税されることになる。

この点,弁護士個々人の利害でいえばあまり税率は変わらないので,弁護士法人を設立すれば節税になるという効果はない。

もっとも,法人の場合は,当期の損失を翌期に繰り越せること(最大7年間繰り越せる)ことは,赤字体質の企業にとってはメリットといえばメリットといえなくもない。もっとも,個人事業主でも青色申告の場合,損失は3年間繰り越しすることができるうえ,弁護士法人が多額の損失を計上するということは想定することが難しいといえる。

したがって,税務関係からは価値中立的になるが,一般的に法人成りは節税効果を当然に念頭に置いているので特段の効果がないというのはマイナスの印象を拭えない面があると考えられる。

補足するに,弁護士法人化は必然的に収支共同を意味することになるので,当事務所のような大規模事務所の場合,おのずと法人と個人の資金は明確に区別されることとなる。したがって,法人の資金と個人の資金を混在させた発想において,トータルで,何パーセント節税になるというような次元で議論をすることはもともと困難ではないかと思われる。所得税・住民税・事業税であわせて55パーセント程度の税金が、法人税なら46パーセントで済むなどというのは、個人と法人の資金を峻別するというコンセプトに矛盾するものと考えられる。

なお,弁護士法人とすると,弁護士会費として弁護士法人分と個人分を負担しないといけないという負担が生じる。

第4 結びに代えて-若干のまとめ

1 以上のように考えてくると,外部的環境としては各弁護士の専門性は失われていくという方向に現象は作用することになる。したがって,専門を蓄積するということは反現象作用的な行動ということになる。

そうすると,現象に委ねるままということになると,(必ずしも誤りとはいえないが)あらゆる事件種を平均的能力で処理する弁護士の集団になり,一部啓発的な弁護士が自らリスクをとり,ある分野で専門分野を身につけることを偶々期待するというシステムとなる可能性がある。

それが良いか悪いかは価値中立的であるが,いわゆるパレードの法則(売上の8割は,2割の者が作っているという法則)が妥当するほどになると,公平感が失われて,執務あるいは売上を立てるのに熱心な弁護士ほど,事務所からの離反を招いてしまっては本末転倒である。

2 他方,弁護士法人ということになると,共同化・専門化・結合化が進みやすくなり,外部環境に対して対抗しやすくなるとはいえる。しかし,経済的結合のスキーム次第では,フリーライダーを生むことになる懸念も生じる(そういう意味では,助け合いとフリーライドのバランスをどう取るかは課題である。)。

以上のとおりで,個々人のリスクに任せて専門化を促すか,リスクを相互補完しつつ専門化を促すかという観点は必要である。

私見としては,東京都の場合,あらゆる法的需要が存在することから,専門性に特化している法律事務所が珍しくなくなっている。しかし,これらは弁護士法人化していないものも多い。ある意味では,人口(法人も含む。)が多い首都圏であるからこそ専門化が達成することができていると解することも可能であって,「弁護士法人化=専門性の深化」と結ぶのは短絡的に思われる。

大手法律事務所も弁護士法人とはなっていないが,その理由として現状のパートナーシップ契約(組合契約)による結合で特段の不都合がないほどにシステムのブラッシュアップがなされており,むしろ社会保険料の大幅負担が大きな障碍になっていると推測される。

私見は,他の事務所との比較優位の問題として弁護士法人としなければ専門性が深まらないと判断されるときは,弁護士法人に移行するのが妥当と思われるが,現在,その時期に至っているとまでは判断することができない。

3 一応の結論

以上のとおりであって,本稿は,事務所を全体として弁護士法人とすることには,消極の立場を採用することとしたい。

「法人化PT・中間報告」は,意思決定システム上の問題を骨子に据えるが,これを論拠とすることができないことは既に述べたとおりである。

むしろ大型の法律事務所で弁護士法人化していない法律事務所の組合契約(パートナーシップ契約)がどのようなものになっているかを研究し,効率的な運営に努めるのが方向性として妥当のように思われる。

残る問題としては,部分的な弁護士法人を許容するか否かである。

この点に関する詳細な検討は,加藤洪太郎弁護士の論考に委ねることにしたいが,本稿は弁護士法人の当否について総合的な考察を加えることを目的とするのでこの論点について若干の検討をすることとしたい。

既に本稿は,従来,専門化は,ある「ブティック型」の弁護士が特定の勤務弁護士を雇い入れて,ノウハウを教示するとともに,特定の専門性のある事件を集中的に処理させることにより,経験を蓄積させることにより,事実上達成されてきた例が多いと指摘した。

これを裏付けるように,弁護士法人も「大きいから弁護士法人」という実態は全くみられない。むしろ,全体の7割である250法人が4名以下の所属弁護士しかいない(社員ではない。所属弁護士である。)。

そうすると,比較的小規模のグループの人的・経済的結合のあり方として,弁護士法人という制度が適合的なのではないかと推測される。

弁護士法人に限った話ではないが,Aボス-a勤務弁,Bボス-b勤務弁という系列が構成されているケースは比較的多く聴かれる。たしかに,ボス間で喧嘩が生じた場合に組織自体が分裂する可能性はあり得る。現実に既に13弁護士法人が解散しており,その原因は仲間割れがあるのではないかと思われる。

とはいうものの,もともと株式会社と異なり組合契約は緩やかな結合が本来の趣旨であり,こうした問題は現在でも大なり小なり存在するものである。したがって,この点をいちいち理由に挙げて部分的弁護士法人化を行いたい希望まで否定することはないと考えられる。例えば,今後当事務所から弁護士会の副会長が出た場合に,この機会に東京に基盤を作りたいと東京の事務所を持つことを希望するかもしれない。

参考までに京都の「つくし法律事務所」が部分的弁護士法人を行っている。当事務所のような経済的結合のあり方から,「事務所は私が所有する形を取り,賃料やイソ弁さんの年俸も私が支払っています。一方パートナーは,事務所から独立した形を取り,これらが仕事を依頼したら報酬の何割かをもらいます。逆にパートナーが受けた仕事については一定割合を納めてもらいます」(鳥飼重和弁護士の著書から引用)に近い運営にシフトさせた試みと評価できる。

4 もともと「つくし法律事務所」は,竹下弁護士の個人事務所であった。平成23年12月1日に,竹下弁護士を代表社員とする「弁護士法人つくし総合法律事務所」が設立され8人が法人に所属し,「弁護士法人つくし総合法律事務所」と「つくし法律事務所」が,民法上の組合として「つくし法律事務所」を構成しているようである。

「つくし法律事務所」のみに所属している弁護士は,舟木浩弁護士,佐野就平弁護士,本田里美弁護士の3人である。舟木弁護士は登録10年目,佐野弁護士は登録8年の弁護士である,本田弁護士は登録3年といったところである。誤解を恐れずいえば「つくし法律事務所」は,弁護士法人代表社員の竹内弁護士,所属しない舟木弁護士,佐野弁護士を中心とする事務所である。その後に所属するに至った弁護士は,いずれも60期以降の若手弁護士のようである。

竹下弁護士は,現在,京都弁護士会の副会長をしており東京での執務が多くなったことから,それを一つの機会ととらえて東京での基盤が欲しかったが二重事務所禁止の制約があったことが要因として大きいようである。このような「東京進出型」は大阪の弁護士法人に比較的多くみられる。もっとも,「つくし法律事務所」の東京の常駐弁護士はひとりであり,大規模な東京進出とはいえないと考えられるし,事実上脱法があるのではないかと疑われるところもないではないところであると思料される(竹下弁護士は京都弁護士会副会長であるから,東京三会の会員になるということはあり得ず,常住とされている若手の弁護士が本当に常駐している実態があるのかは不明である。)。

舟木・佐野両弁護士はいずれも登録年数が10年程度あり独自の基盤を有していたことから経済的結合の面で折り合うことが難しかったこと,若手弁護士の採用という面では弁護士法人により専門性を蓄積するという道を選んだことが主な理由ではないかと推測される。

登録3年の本田弁護士が法人に所属していないが,司法書士経験者であること,地元で教師をしていて独自の営業基盤があること,大学講師などをしており個人としての働きやすさを重視して,法人に所属しなかったものと考えられる。

5 全くの個人的見解であるが比較的同質性の高いメンバーで弁護士法人を構成し,個性ないし独自性が強かったり独自の営業基盤が確立されていたりする者は弁護士法人のメンバーからは外れている印象はある。

部分的弁護士法人化は,結局のところ,イソ弁を雇い入れることが必然的に伴う可能性がある。例えば,ある弁護士が常滑に弁護士法人の支店を設置したいと考えると,丸の内にその弁護士法人の常駐弁護士を置く必要が出てくるが,その弁護士は雇用するか収支共同とする必要が出てくる。

しかし,ひとりが支店を出したいという求めがあるからといって何の利害関係のない弁護士が丸の内事務所における常駐弁護士を引き受けるかというと,全く可能性がないとはいえないと思われるが,リターンとリターンの均衡という観点から考えると疑問も残る。

突き詰めると勤務弁護士を雇い入れることができるか否かという議論も,部分的法人化に際しては避けては通れない問題と考えられる。

部分的弁護士法人化は,別法人と各弁護士間のアライアンスという性格としてとらえる必要があると考えられる。

以上

トランプ対ワシントン州判事

話題になっているトランプアメリカ大統領が出した難民や中東・アフリカの7か国の国民のアメリカへの入国を禁止する大統領令をめぐる争い。

 

久しぶりの司法積極主義がアメリカでリベラルの立場からみられることは喜ばしい。

 

驚いたことに、大統領の執行停止を決めたのは、ワシントンDCとも、トランプタワーがあるニューヨーク州からもはるかはなれたカナダ国境に面するシアトルやポートランドがあるワシントン州の連邦地裁の判事である。

 

日本では、大統領令のようなものを「独立命令」というが憲法で禁止されており法律を制定する必要がある。それだけにアメリカの司法はアクティブでなければ独裁者からの危険から免れることはできない。連邦控訴裁判所は審理を行うことを決めて,即時に棄却することをしなかったことから,アメリカでは7か国の方の入国が再開され,ワシントンDCのダレス空港などでは,弁護士が入国の援助をしている。これほど,独立命令を執行停止にするという大統領VS判事の戦いは、判事の権限がいかに大きいかを示し,かつ,それが正義にかなっていることを示すのに十分であった。

 

たしかに我が国は難民の受け入れに極めて消極的であり、排外主義の国から「日本をみならえ」といわれているが、日本も人口オーナスが崩れ始めれば、フランスのように移民を積極的に受け入れなければならない時期もやってくるのではないか。

 

トランプ氏は,今度は判事に批判の矛先を向けているが,日本では,都合の悪い裁判官は左遷させるのが普通で管轄から東京地裁や東京高裁には配置しないので問題はおきない政治が行われているが、アメリカの法律では連邦地裁は、ワシントン州にもデルタのハブがあるため審理の対象となったのであろう。

 

トランプは「テロが起きたら判事のせいだ。」と断じている。しかし、ルーブル美術館の出来事もそうであるように、リベラルが争っているときに悪いことは起こるものだ。どうか、最終的な判断が出るまでテロは起きないように願いたい。司法は少数者グループの人権擁護のために存在しているのであって,代表民主制の下、代表者を議会に送ることができないことからこそ司法の正義の発揮が求められる。フランス・デューは,老女が入国を拒否されていた模様を伝え,「こんな70歳の女性がいったいアメリカにどのような脅威を与えることができるというのだろうか」と厳しく批判する報道をしている。ドイツZDFもトップで,ワシントン・ダレス空港で,弁護士が身柄を勾留されている人がいないかどうか奔走している姿を報道していた。少数者の人権の砦は,改めて司法制度にあることを物語る出来事であるといえる。

 

しかし、トランプは少数派に不利な大統領令を出し、それから彼らを守ろうとする自由・平等・博愛を侮辱している。トランプの支配などごめんだ。法の支配、それが今、ならずものの王様によって破られようとしている。最高裁判事のクビも挿げ替えようとしている。私はいいたい。幾多の王様(為政者)がいたが,王の中には首をはねられた奴もたくさんいると・・・。理解して欲しいものだ。すべての市民は法の前では平等であるということを。今こそ勇気を。

厳しすぎるグーグル検索の削除基準

最高裁平成28年1月31日は、グーグルに対して、自己の逮捕歴に関する記事の検索結果を削除する求めた裁判の決定で、「プライバシーの保護が情報を公表する価値より明らかに優越する場合に限って削除できる」との規範を示しました。しかし,過去の前科公表事件の最高裁判決との整合性がとれておらず、前科は国民が最も知られたくない代表的なプライバシーであることに照らすと、それを上回る「明らかに優越する公共的価値」というのはいったい何なのでしょうか。

 

最近、食べログなので、「おいしくなかった」「店員の対応が横柄」「仕事が遅い」と一方的観点からの名誉棄損的表現が目立つ中で、かかる名誉棄損的表現を爆発的に流通させるグーグルの流通過程に載せることに、これほど厳しい基準を載せるのは、「忘れられる権利」という一方もあるものの、他方で、グーグルに対する事業活動上の名誉毀損についてもハードルが上がらないか懸念が高まります。

 

これは,事前抑制禁止の法理などと比べても実質的に厳しい基準で、どうしてネット検索がここまで公共的に保護に位置付けられるのか全く疑問といわざるを得ません。欧州連合が明文化している忘れられる権利にも触れていませんし、ネットには否定的情報の方が蓄積されやすいという特性など,最高裁決定は審理不尽であり、国民的討議を深めていく時期ではなく、むしろ最高裁が少数派や健全な商道徳を守れないのであれば立法でグーグルの検索機能を規制する立法をなすべきであると考えます。最近グーグルのポリシーをみましたが違法であっても、リベンジポルノ、特定宗教の押し付けなど、事業活動をしていくうえでほとんど役に立たないポリシーばかりです。「保育園落ちた、死ね」というように個人の発信力が高まる一方で、少数零細企業の場合、コメントの承認性がない場合、グーグルのコメント欄の罵詈雑言が残り続けることになりかねません。しかし、新聞でも濃縮版には配慮しているのに、それに配慮しなかったグーグルの常識なるものを既存メディアはもっと攻撃すべきではないかと思います。

 

しかし、刑事では、リンクを貼るだけで幇助になったり共犯になったりするのに、全く平仄がとれていないご都合主義としかいえず、しかも過去の犯罪報道に高い公共的価値は見出すことは認めず、かかる判例は射程距離を短くとったり、あてはめで工夫する必要が出てきそうです。

 

1 記録によれば,本件の経緯は次のとおりである。
(1) 抗告人は,児童買春をしたとの被疑事実に基づき,平成26年法律第79号による改正前の児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関
する法律違反の容疑で平成23年11月に逮捕され,同年12月に同法違反の罪により罰金刑に処せられた。抗告人が上記容疑で逮捕された事実(以下「本件事実」
という。)は逮捕当日に報道され,その内容の全部又は一部がインターネット上のウェブサイトの電子掲示板に多数回書き込まれた。
(2) 相手方は,利用者の求めに応じてインターネット上のウェブサイトを検索し,ウェブサイトを識別するための符号であるURLを検索結果として当該利用者
に提供することを業として行う者(以下「検索事業者」という。)である。
相手方から上記のとおり検索結果の提供を受ける利用者が,抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件として検索すると,当該利用者に対し,原々決定の
引用する仮処分決定別紙検索結果一覧記載のウェブサイトにつき,URL並びに当該ウェブサイトの表題及び抜粋(以下「URL等情報」と総称する。)が提供され
るが,この中には,本件事実等が書き込まれたウェブサイトのURL等情報(以下「本件検索結果」という。)が含まれる。
2 本件は,抗告人が,相手方に対し,人格権ないし人格的利益に基づき,本件検索結果の削除を求める仮処分命令の申立てをした事案である。
3(1) 個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は,法的保護の対象となるというべきである(最高裁昭和52年(オ)第323号同56年
4月14日第三小法廷判決・民集35巻3号620頁,最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁,最高裁平成1
3年(オ)第851号,同年(受)第837号同14年9月24日第三小法廷判決・裁判集民事207号243頁,最高裁平成12年(受)第1335号同15年3
月14日第二小法廷判決・民集57巻3号229頁,最高裁平成14年(受)第1656号同15年9月12日第二小法廷判決・民集57巻8号973頁参照)。他方,検索事業者は,インターネット上のウェブサイトに掲載されている情報を網羅的に収集してその複製を保存し,同複製を基にした索引を作成するなどして情報を
整理し,利用者から示された一定の条件に対応する情報を同索引に基づいて検索結果として提供するものであるが,この情報の収集,整理及び提供はプログラムによ
り自動的に行われるものの,同プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものであるから,検索結果
の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。また,検索事業者による検索結果の提供は,公衆が,インターネット上に情報を発信したり,インター
ネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを支援するものであり,現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割
を果たしている。そして,検索事業者による特定の検索結果の提供行為が違法とされ,その削除を余儀なくされるということは,上記方針に沿った一貫性を有する表
現行為の制約であることはもとより,検索結果の提供を通じて果たされている上記役割に対する制約でもあるといえる。
以上のような検索事業者による検索結果の提供行為の性質等を踏まえると,検索事業者が,ある者に関する条件による検索の求めに応じ,その者のプライバシーに
属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは,当該事実の性質及び内容,当該UR
L等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度,その者の社会的地位や影響力,上記記事
等の目的や意義,上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化,上記記事等において当該事実を記載する必要性など,当該事実を公表されない法的利益と
当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので,その結果,当該事実を公表されない法的利益が優越することが明
らかな場合には,検索事業者に対し,当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解するのが相当である。
(2) これを本件についてみると,抗告人は,本件検索結果に含まれるURLで識別されるウェブサイトに本件事実の全部又は一部を含む記事等が掲載されているとして本件検索結果の削除を求めているところ,児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は,他人にみだりに知られたくない抗告人のプライバシーに属する事実であるものではあるが,児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置付けられており,社会的に強い非難の対象とされ,罰則をもって禁
止されていることに照らし,今なお公共の利害に関する事項であるといえる。また,本件検索結果は抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件とした場合
の検索結果の一部であることなどからすると,本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものであるといえる。
以上の諸事情に照らすと,抗告人が妻子と共に生活し,前記1(1)の罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で稼働していることがうかがわ
れることなどの事情を考慮しても,本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。
4 抗告人の申立てを却下した原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春 裁判官
木内道祥 裁判官 山崎敏充)
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