朝日のコラム―VOICE~目上の人に敬語を使わない人増えた

朝日新聞に高校生の声が投稿されていた。

 

たいていが全国紙は社説代わりになるような声が多いので、このような声はめずらしいな、と思い読んだ。

 

論旨は要するに,目上の人に対して敬語を使わず、かつ、彼らはそれなりのインテリジェンスがあるが、テレビの影響でため口の方がフレンドリーな印象を与える、ということであるが、敬語はマナーでありモラルと結んでいる。

 

この論旨、朝日新聞に載せる必要があるのかな、と思うほどの骨子であった。

 

たしかに,最近上下関係を意識しない、軽薄な人が増えている印象がある。もちろん年齢が上ならすべて上というわけではない。問題は,敬語というのは,ある種,相手を尊敬しているのか、尊厳を尊重しているのか、ということとも結びつく。これをいうと、全員敬語ではないといけないではないか、という反論も聞こえてきそうだが、社会人の場合、社会の場でため語をつかって許される場というのは、同期の飲み会くらいではないか、あるいは、職制上の上下関係があるものに対する指揮の際などではないか、と思う。いわば、ため口というのは、家庭内のものであって、あるいは、極めて親しい世界の話しであって、外部の話しではない、と思うのだ。

 

だが、外部でも敬語を使わないケースはある。例えば、経営者同士のあつまりの場合、誰がえらいということは特にない。「だからこそ」全部「敬語」というケースもあるし、青年会議所では着席したまま発言する場合「着座にて失礼いたします。」といわないといけない。他方、全部、ため語というところもある。

 

私が、とある複数の弁護士が普段は敬語なのだが、ふと酒の場でため口になったことがあったことがあったが、尊敬されたいと願うのは傲慢だが、一事が万事であり、そういう振る舞いを上目の者はみているものである。また、時折、まるで友人関係と勘違いしている弁護士さんもいたが、10年近いキャリアの違いを乗り越えてため口というのは、やはり弁護士になるための勉強のしすぎで・・・。なのだろうか・・・。上下関係を理解している子、つまり体育会系などが会社などで重宝されるのは、投稿者がいうマナーやモラルというレベルでしみついているからである。

 

この投稿者に申し上げたいのは、相手を尊重していればウチの世界の人間でない限り、自然と敬語を使うのが当たり前、ということである。ましてや尊敬している人間には謙譲語を用いるのが当たり前である。

 

中学生のころは、思春期で難しく学級経営に悩む教育者も多い。だから、上下関係を曖昧にしてしまい学級崩壊させてしまうケースもあるが、一部の優秀なインテリジェンスを持っている子はウチ側の人間として、接しているのだろう。それは、かかる教師の学級経営自体があまり適切ではないことの一例を示すことであって、安易にテレビに影響と因果関係の検証なく結びつけるのはよくないと思う。実際、ニュースではほとんどが敬語ではないだろうか。敬語の意義というのは、相手に対する尊敬、リスペクトであるという意義を改めて、山田海遊さんには呼びかけてもらいたいものだ。最後に付言すれば、航空管制英語で英語を学んだ身としてはインテンションをはっきりと相手に伝えることに主眼を置くことが大切であり,すべて命令調を用いる業務もある。いわんや航空管制がその世界だ。なぜ、敬語を使わないか、迅速な意思疎通に必要ないからである。ただ、こういうエンジニア的な世界とハートとハートのつながりは別のものと受け止めた方が良い。ため口ならばハートがつながっていると考えるのは間違いで、相手の立場に立って考えてみると良いのではないだろうか。

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