お役立ちコラム

新しい消滅時効援用の新判断

本件は、最終弁済日から13年を経過した場合において、貸金業者が住所を突き止め、和解契約書を取り交わしたというものである。

名古屋簡易裁判所平成29年7月11日は、債務の承認をしても、なお時効の援用ができるとしました。

 

同判例は、消滅時効完成後は、債務者が債務の承認をした場合は援用は許されない。しかしながら、交渉経過や債務承認がなされた状況等を総合考量し、もはや債務者が時効を援用しないであろうと債務者が信頼することが相当と認められ得る状況の存在を要件として、これが認められない場合、債務者は、なおも消滅時効の援用が可能であるとしています。

 

同判例は

・高額の請求を受けた債務者は分割の申出をしてその場をしのごうとする心理状態になること

・債務者が和解契約締結後一切支払っていないこと

・債務者が弁護士に相談後直ちに援用の手続をしていること

を挙げて、「もはや債務者が時効を援用できないであろう債権者が信頼することが相当と認め得る状況の存在を否定し、債務者の消滅時効の主張を認めた。

株価指数取引及び先物取引について、不法行為を認めた事例

本件は、業者から飛び込み営業を受けて、株価指数取引及び先物取引を開始した顧客が、同取引により損失を被ったものとして、業者による説明義務違反、断定的判断の提供を理由に不法行為に基づく賠償請求を求めたものです。(東京地裁平成29年8月9日)

 

判決は、業者が顧客に対して、取引の仕組みやリスク等が記載された冊子、契約締結前交付書面を交付していた事実を認定しつつも、業者はこれらの書面の内容について具体的な説明がないこと、滞在時間1時間で株価指数取引の経験のない顧客に十分に理解できる程度の説明がなされたとはいえず、後日の通話記録からしても、取引の仕組みやリスクを理解していたとはいえないことから、説明義務違反の不法行為が成立するとしました。

 

また、判決は、株価指数取引における指標や先物の価格について、顧客の有利に変動するであろうことを強調した説明は、利益が得られることが確実であることを誤認させるおのであり、断定的判断の提供にあたるとした。

エキュメニズム―「原理」への固執、他者排除に。

10月8日付朝日新聞は「宗教と暴力」というテーマの対談を掲載している。

 

池上氏は、仏教にも危険な面があるのだな、という指摘をされたのに対して、佐藤優氏は、「エキュメニズム」という言葉で論点整理をした。

 

今回の選挙でも、自公、希望、リベラルなどの政党に分かれたが、もともとは、ダイバーシティにも似た他者に寛容であることを求める考え方だ。だが、エキュメニズムの歴史も、2000年以降にはいり、キリスト教と同性愛を巡る問題など、キリスト教内での見解の差異が深刻化していく中、エキュメニズムも大きな影響を受けている。

リベラル化する米国聖公会に対して、批判を鮮明にする保守派が分裂して北米聖公会を形成。アングリカン・コミュニオン全体に分裂が顕在化している。

リベラル化する英国国教会に対して不満を抱く保守派をバチカンが受け入れる意向を示したことに対し、英国国教会のカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズは懸念を表明。一部からは「エキュメニズムの失敗」とまで評される事態に陥っている。

 

他者を尊重するか、原理に固執するか。佐藤氏は、固執する者は、暴力を使って他者に自分たちの思想を強要したり、他者を排除しても構わないと考えたりする人たちがいる、と指摘する。そして原理原則にとりつかれると、命を捨てる覚悟があるから他者の命を奪うことも構わない、ハードルが低くなる、という。

 

佐藤氏は一部の人たちがイスラミックステートの過激思想に説得力があることに懸念を示すが、固着が激化する終焉をみるようだからだろう。

 

しかし、小池百合子氏の「排除いたします」とか、「日本語でそのように申しております」という考え方とか、踏み絵を強要するのは、エキュメニズムの正反対の思想だ。穏健な保守を標榜するとは恐ろしい。もともと小池氏は憲法破棄を訴えいたのだからハイパー右翼だ。防衛政策も安倍氏と一致していると党首討論で述べた。そして排除と刺客。どこに寛容さと他者を尊重していこうという姿勢が見えるのだろうか。恐ろしいのは、佐藤優氏の論理を推し進めると、彼女に総理になるためには命を捨てる覚悟があれば、他者のかけがえのない生命や個人の尊重も、ユリコズムで破壊されないか、ということだ。彼女の理念なき権力への意思はすざまじさを感じる。

 

民進党は、前原代表といい、身勝手なものの集まりであり、まさに「エキュメニズムの失敗」そのものであった。

しかし、立憲民主党の躍進も難しい。今後は、マンハッタン宣言のように保守的福音派、伝統主義カトリック、北米聖公会、正教会が協調した。このように所謂リベラルとは呼ばれない保守的なグループが協調する場面が増えていく。小さなコミュニティである会社や家庭は保守主義でも自由だが社会からリベラルさが失われると生きにくくなる。少数派にも配慮した社会的正義と基本的人権を擁護していくのが弁護士の職責だ。

MAEHARA Devil His Hearts

この人の政治的センスのなさにはあきれるばかりだ。

 

前原誠司氏ほど馬鹿な政治家はみたことがない。

 

今の前原氏はThe Devilだ。日本の健全なリベラル勢力を死滅に追いやろうとする気が狂ったクーデターとしかいいようがない。そもそもアメリカですらコンサバとリベラルが対立軸となっているのに、小池氏は憲法破棄を訴えた経歴のあるハイパー右翼だ。保守対ハイパー右翼が軸となる争いでは、弱い人や基本的人権のための仕組み作りはおざなりになることは明らかだ。まさに、The Devil finds work for idle hands to do=小人閑居して不善をなすだろう。

 

民進党は、設立の経緯はどうであれ連合が支持母体である以上「労働者」の党だ。経営者よりも労働者の方が圧倒的に多い世の中で、前原氏の行動は、「貧すれば鈍する」「小人閑居して不善をなす」の典型だ。経営者としても、前原氏はダメなトップの典型としてああはならないように気を付けないといけない。

 

いったい前原氏は、希望の党で主導的地位もとれず、自分のすべてを悪魔にささげて、都合の良いところだけをもぎとられるということだ。これは健全かつ穏健なリベラルに対する裏切りだ。日本国民でも、希望の党の「デスノート」に搭載された野田佳彦氏、枝野幸男氏、蓮舫氏、辻元氏を排除するのに違和感を持つ者も多いだろう。たしかに辻元氏はリベラル色がかなり強いが国土交通大臣時代、副大臣として支えた元部下をあっさり切り捨てる慈悲深さのなさから人間としての足りない部分を強烈に感じる。政治というのは最終的には慈愛ではないのか。

できることはひとつだけだ。あせらずおちついてやろうよ、ということだ。そして答えはただ一つ。民進党の新しい姿をみせることだ。前原氏はもはや民進党の代表失格である。枝野氏や野田氏が臨時の代表に就くべきだろう。リコールし、枝野氏が代表に就くのが望ましい。

 

前原氏は、希望の党にいいように使われ仲間を売った最悪のリーダーだ。永田氏のメール問題で彼を自殺に追いやった張本人は何も反省していなかったようだ。

 

結果的に

・民進党の支持母体の連合を希望の党に奪われた

・民進党の議員の半数が立候補できない見通しとなった

・大阪、愛知の知事と連携したということはこの地域の民進党議員は希望の党から立候補できる見通しがなくなったということだ。

・穏健保守といいながらと憲法9条の改正に反対する「自民党」の岸田元外相よりも右翼で、自民党内の穏健保守よりも希望の党は右翼ということが次第に分かってきたということ

・民進党と希望の党が連携するメリットは第一次の「センバツ」リストをみてもほぼないことが浮き彫りになり、悪魔が民進党の選挙準備をさせないための単なる時間稼ぎをしているにすぎないこと、とほぼ分かってきたことが挙げられる。

・小池氏も民進党に合流を打診しておきながら「センバツ」をすると述べて代表代行で憲法改正に肯定的な枝野氏や保守政治家の野田氏まで排除する一方で、問題発言で議員辞職に追い込まれ落選した中山成彬氏を迎えて「デスノート」作りに関与させていると読売新聞等に報道されるなど、明らかに政治的な公平さを欠き偏りがある。やはり急ごしらえの新党ブームに乗るべきではない。結果は日々の積み重ねでしかない。民進党は参院議員が中心となって「前原氏をリセット」すべきである。

穏健なリベラルの消滅は日本にとっても、有力な対立軸を失うことを意味する。そして、アメリカでは多くの社会的仕組みを作ってきたのはオバマケアもそうであるように、リベラリズムだったということを忘れてはいけない。NPO法成立に向けて奔走したのも辻元清美氏だ。私は辻元氏は嫌いだが、それとは別にNPOや国土交通副大臣としての評価は現実的なもので評価をしている。

健全で穏健を意味するリベラリズムを失うことは社会公共にとっても不健全で、損失になることも考えて、民進党には再度の考案を促したい。

「過程」を問わない行政・司法・政治でいいのか。

国家対市民社会というパースペクティブで世の中をみると、国家に求められるのは、国民が、公平・公正・公正らしさという信頼感にあるのではないか。

 

朝日新聞の10月1日報道によれば福田康夫元首相は「民主主義国家で、国民が様々な判断をするために正しい事実を知る」と話したという。政権をあげて政策決定の過程を記した公文書を後世に残すことに取り組まれた。

 

翻って安倍政権はどうなのだろうか。公文書を安易に破棄する。これは証拠を残さないためにそもそも作成しないケースも多いとみられる。そして存在する文書を「怪文書」という。おそらく証拠を残さないために公文書を作成しないため備忘録が広く安倍政権では流通していたとみられる。記録はあるのかないのかというと「記憶がない」と繰り返す。挙句の果てには、批判に対して、安倍首相は、被害者意識を丸出しにして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というが、そもそも情報は国民のものだ。せめてもの説明責任をも果たさない。

 

同じことは裁判所にもみられる。手続きの不公正としての正義がみられたが、それを是正を求める手続きをとったところ、わずか2日で何の調査もしないで決定が出された。当然即時抗告をしたが、いつもは行政に口うるさい藤山雅行も単に理由がないと述べるだけであった。このネットでも例えばこどもの親権事案はここがポイントになっている、というようにわずかなことがきっかけになっていることが多い。そのために、裁判所に対する公平・公正が求められる気配りが必要だ。だからこそ「結果」が受け入られる余地が出てくるのではないか。手続きが不公正であれば結果も不公正なものと信じるのは社会人なら普通のことだ。

 

小池百合子氏にも同じことがいえる。もはや「希望の党」は政策が見えず、単に小池氏の好き嫌いを安全保障政策で「センベツ」して奴隷議員を作る「野望の党」と同じといえる。リベラル系を排除するノートは「デスノート」と呼ばれ、枝野幸男氏の代表戦の推薦人全員がデスノートに名前が載せられている。そして、お世辞にもリベラルとはいえない野田元首相や安住氏もデスノートに名前が載ったが、これは「小池氏が嫌いだから」といわれている。

 

小池氏の「リセット」という言葉に違和感を持つ人は少なくないだろう。

 

リセットというのは、事後検証もしない、政治や人の重要な事柄が関わることで「リセット」などできるはずがない。

ゲーム感覚で物事をいっているのであれば、ギャンブラーに国の経営を任せるわけにはいかないだろう。

 

行政手続きの透明化を売りに都知事に当選しながら、情報公開も「リセット」、都知事も「リセット」では、小池氏の良識を疑わざるを得ない。政治家ではなく政治屋だ。

 

小池氏は情報公開といいつつ、築地市場の移転問題で記録がないことについて、「AI、つまり私が決めた」とけむに巻いたという。

この人の「野望の党」では、自らが総理になるためギャンブルを次々とやるのだろう。その政策の決定プロセスは「AI、つまり私が決めた」では相応しくない。そしてギャンブラーの都合が悪くなったときの言い訳は「リセット」である。我々は騙されるべきではない。

 

プロセスを問わないとたいていは独裁に陥る危険をはらんでいる。それが適正手続きというもので憲法31条にも書いてあるのではないか。それが市民社会の国家に対する信頼のマイルストーンである。

Learn from yesterday,live for today,hope for tomorrow

アインシュタインの名言である。今は、Start nowでもいいかもしれない。

 

過去から学び、今を生き、未来に希望を持つ。

 

久しぶりに毎日新聞の識者の記事をみて、同意した。福田康夫氏のパワーバランス論である。

 

日朝平壌宣言から15年。電撃的とも思えた小泉訪朝の構想はよく練られたものであった。

 

国際関係論からいえばミサイル問題は当時から顕在化していたが、その芽をつむことが可能だった。

 

それが国民情緒が許さなかった、拉致問題最優先という順位をつけたがために、毎朝、Jアラートのブレーキングニュースだ。

 

日本国民、みなが、日本海に打ち上げ花火程度のロケットを放っているだけと軽視していた問題は、日本列島の頭上を越えて飛んでいくミサイルに成長を遂げた。今後、東京の頭上をとばすなど、まずはアメリカの同盟国である日本から揺さぶりをかけてくるだろう。

 

北風と太陽―北朝鮮問題では、終始、当時から安倍首相がイニシアティブを握り、圧力一辺倒でやってきた。その結果が「ロケットマン(トランプのツイッターより)」の登場である。もはやチキンレースも軍事衝突の手前にまで来てしまった。その責任の一端が安倍氏にあることは間違いのないことだ。

 

福田氏は、そもそも、日朝平壌宣言は、日本人拉致、核、ミサイルを3点セットで解決する枠組みである。この問題が解決したら日本は、平和条約を締結して戦後補償を北朝鮮にして、日本が北朝鮮を国際社会にインビテーションするものだった。福田氏は、「今解決しないと核開発は確実に進む、進んだ後は解決はより困難になるだろう」と相互が考えていたからと指摘する。

 

たしかに、金正日総書記が拉致を謝罪し宣言に署名したのだから、当時はまじめに核放棄を考えたのだろう。福田首相は、示唆的に「日本国内での反発」などから合意は実現に至らなかったと指摘し、核の脅威が今や現実のものとなり、確実に北朝鮮のパワーバランスは上がっているとみるべきであろう。福田氏は「あのときのまたとないチャンスを逃した」と責任を感じると述べるが、同氏は、「媚中派」などと揶揄され安倍氏からは左翼扱いである。核の脅威は、安倍氏の圧力の意趣返しと考えることもできないだろうか。

 

安倍氏は地球儀外交と称して、インドなどを頻繁に訪れるが、ミサイルが日本に飛んで来たらインドは日本に何かしてくれるのか、あるいは、インドがパキスタンを攻撃したら日本は加勢するのだろうか。安倍氏のやっていることは、北朝鮮包囲網といいつつ、その逆境から生じる民族性をあまり理解していないのではないか。

 

福田氏は、「けしからん」というだけでは解決にならない、と指摘する。そして、日米同盟を基軸に、近隣国との関係を固めることが先である、と指摘する。日中韓がまとまっていれば北朝鮮は、勝手なことをしにくい、今はそれぞれが関係があまりよくない。サードの配備などはやむを得ないところがあるが、やはり福田氏のような触媒が自民党副総裁などにいない人材難があるだろう。そして、唯一の被爆国という立場の主張が弱いとして、国際社会で主張を繰り広げるべきと述べる。今はもう一度、北朝鮮が核放棄を約束し、関係国が北朝鮮の復興に手を貸すという合意に持っていくという氏の枠組みを目的に、まずは日中関係の政治的改善からである。

 

これはこれで難儀であるが、交渉の場で言い返せば褒められるというのは間違っている。問題は成果を挙げられるか、だ。その意味で「河野」という中国に馴染みのある現在の外相に課せられているのは、平和的に北朝鮮を国際社会に招き入れることだ。金正恩は、国家の態勢維持のために核が必要でありそのためには身を賭す覚悟だ。正男氏の暗殺もその文脈で理解される。もはや、Boys will be boys、「男ってどいつもしょうがない」が済まない。トランプもNHKの報道によれば「ロケットマン」と呼んだと報道して、何かいいたそうな報道ぶりであったが、今は、日中韓の結束を固めるときなのではないか。今日、ロケットマンとの記述に接し、大統領としての基礎的品格がないと感じた。

旧姓の公務員の使用拡大するなら法律を改正せよ

国家公務員が仕事をする際、結婚前の旧姓を使うことを原則として認める。各府省庁がそのような申し合わせをした。

 

昨今の最高裁判決では、近時では、旧姓使用の拡大という社会的実態が「合憲」の根拠とされたことから、いわばアリバイ作りのための申し合わせにすぎない。深刻なのは、対外的な裁判所等の公権力行使公務員でも、一例を挙げると裁判官が判決などを旧姓で言い渡せるようになる。

 

特に裁判官の世界は、世界が独特であるから、仕事とプライベートを分けるため、という人間の尊厳とあまり関係ない切実さのない論拠により、公権力行使公務員が影に隠れて行ってしまう方がおそろしい。例えば、安倍首相の安倍も、実は旧姓でした、といったら、やはり国民的支持も得られないうえ、立法もないのになぜ虚偽の署名を用いることができるのか、とても疑問だ。

 

最高裁によれば、公権力を執行中の公務員にプライバシーは認められないという。ならば、併記は認められても本名を隠匿して、というのは、反対意見などを述べた女性判事たちの想いとも違うのではないか。

 

問題があれば、少なくとも責問はできる、そのために正式な氏名をも明らかにするルールをしなければ、ますます公権力等行使公務員は怪しい存在になっていってしまう、そういう見方もできるだろう。そのために法律上、旧姓を通称名を使用するのであれば登録制とするなどルールが必要である。女性の活躍と公権力の適正な行使は別である。通称名を使用する公権力公務員などいつでも名前を気の乗ったときに帰られるのだから「名無しの権化」と一緒ではないのか。

 

民間と国家では適用されるルールが違う。私たち市民社会において旧姓使用を認めていたところで、国家が認めることとは全く意味が異なるはずだ。その論理が公権力等行使公務員ではなかったか。ドイツでも旧姓の使用はマストというわけではなく、夫婦中心主義の国では、原則は同じ氏になるのが論理的な帰結である。結婚の結果、不本意な改姓(朝日新聞9月16日社説)と考えている人はどれくらいいるだろうか。また、学者と公権力公務員では、国民の権利を制限したり義務を形成したりする点で決定的に異なり「誇りを見失ってしまったりする人」(同朝日新聞)など、情緒的でセンチメンタリックな議論は避けてほしい。

 

もっとも、民間においては、その拡充は国民の権利義務の制限とは関係ないのであるから拡大していってほしいと考える。

意外と不利ではない日本郵政東京地裁判決

日本郵便で配達などを担当する契約社員3人が、正社員と同じ仕事なのに手当や休暇の制度に格差があるのは労働契約法に違反するとして、同社に未払い分の賃金計約1500万円の支払いなどを求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。

東京地裁平成29年9月14日は、労働契約法20条の規定において、均衡待遇に近い考え方を示しました。つまり換言すれば完全な平等はもともと予定されていない、といってしまっているのです。

そして、結局は、個別具体的に、待遇の格差が均衡待遇を欠くものであるか、仕事内容や責任の程度、転勤の有無などを総合的に考慮するべきとしました。

しかしながら、上記東京地判は、年末年始手当、住宅手当、病気休暇がない点を不合理としましたが、その他の差別については追認しました。経営者としては、賞与、給与、早出・夜勤手当の格差など、賃金と労働遂行が確保できるかが関心事ですが、これらはすべて不合理な差別ではないとされました。

 

考えてみると、中小企業で住宅手当まで出している会社も少ないでしょうし、年末年始は休みでしょうし、「画期的判決」といわれる割には経営者サイドに有利な判断となりました。

日本郵便は約40万人の社員のうち契約社員が半数を占める。判決は、同社だけでなく、契約社員の労働力に頼る多くの民間企業に格差是正を迫る内容で、日本郵政では大きな影響があるでしょう。

原告の3人は東京、千葉、愛知の郵便局で配達業務や窓口業務を担当する時給制の契約社員。同社には、手当や休暇について正社員と契約社員に違いがあり、3人は八つの手当と二つの休暇制度で解消を求めた。

判決はまず、労働者に対する不合理な待遇格差を禁じた労働契約法20条について、「契約社員と正社員の賃金制度に一定の違いがあることまでは否定していない」と指摘。待遇の格差が不合理かどうかは、仕事内容や責任の程度、転勤の有無などを総合的に考慮すべきだと述べた。

その上で、3人が格差の解消を求めた手当や休暇制度をそれぞれ検討。年賀状配達の業務に対して正社員のみに支払われる「年末年始勤務手当」について、「繁忙期の労働対価を契約社員に全く支払わないのは不合理だ」と認め、正社員の8割を支払うべきだと判断した。賃貸住宅に住む社員向けの住居手当も「格差に合理的な理由がない」として正社員の6割を支払うべきだとした。

さらに、病気休暇は「労働者の健康維持のための制度」、「夏期冬期休暇」は「国民的意識や観衆が背景にある」と述べ、それぞれを契約社員に認めないのは違法だと結論づけた。

一方、3人が正社員と同じ地位であることを確認するよう求めた点については、「法律に規定が無く、労使間の交渉を踏まえて決めるべきだ」として請求を棄却した。

 

本件では、長期雇用に対するインセンティブや有為な人材の確保のため、契約社員と待遇さをもうけることを認めている、と報道されています。このような主観的・意図的な目的での賃金格差については、政府がまとめたガイドライン案でも否定されています。

 

契約社員を雇用する際の参考になると思われます。

養育費不払い―大局的議論を(朝日新聞9月10日社説に反論する)

裁判で勝訴したのに、あるいは公証役場で正式な約束をかわしたのに、相手が履行しない。転職して連絡を絶ったり、財産を隠したりする――。この問題に対処するため法整備案(中間試案)を法制審議会の部会がまとめた。しかし、違和感があるのは養育費の不払いという「感情的」な議論に結びつけて、かえって弱者である債務整理や中小零細企業など保護が必要な債務者への強制執行を強める法政策という矛盾である。

例えば、労働問題で200万円の支払いを命じられても中小零細の会社の場合、「だったら破産します」といって、裁判を起こしても民事上の権利を実現することができないことがある。

朝日新聞は、「とりわけ関心が高いのは、離婚後の子どもの養育費の不払い問題」と指摘するが、法改正の実態は債権者に有利である以上、金融機関など債権者となることが多い人に有利になるという視点が欠けている。母子世帯の6割が「一度も受け取っていない」と答えたというが、一定額を超えると母子扶養手当が打ち切られるところ養育費も所得認定の対象であるので、母子家庭には「独り立ち」が必要なのではないか。母子家庭出身の弁護士としてそう思う。

他方、面会交流をしている母子世帯は3割にも満たないという調査結果もある。朝日新聞は、「厳しい経済環境におかれた子は進学もままならず、貧困の再生産を招く。社会の分断を防ぐためにも早急な手当てが必要」とする。しかし、こどもとのコミュニケーションもとれず、教育方針について話し合う機会もないまま、カネだけ出してくれ、というのは都合が良すぎるのではないか。

また、こどもの視点でも最近23歳は要扶養者に該当しないという審判をもらったが、私は高等教育はすべて奨学金で賄い、大学のころは成績が優秀であったので学費自体が免除された。

離婚は、誰も望んで離婚したがるわけではなく、いわば「悪魔のくじ引き」と一緒だ。そして、別々に暮らせば生活費が非効率になるのは当然である。その非効率を誰が引き受けるかだ。

試案は、離婚に伴う問題と債務整理の弱者側であるものを区別せずにしている点で欠陥がある。特に、悪質な金貸し業者からの請求に罰則を伴う制裁など論外といわざるを得まい。

養育費の問題は、すべてを当事者間の問題として押しつけると解決が難しい。日弁連が提言した新算定表はその意味で妥当ではない。毎月20万円や30万円の養育費を支払っている人もいるのが実態で、高額所得者の元妻は不労所得に甘んじているケースもある。本来的には、離婚直後に関しては母子扶養手当を拡充する政策論の方が妥当である。現在、母子扶養手当は働くお母さんにこそ厳しい制度になっており本末転倒である。

養育費にかんしては女性側の視点が強調されるが手取り20万円の男性の場合、例えば、養育費が8万円の場合、家賃6万円、光熱費等1万円、食費3万円、保険料1万円、小遣い1万円で貯蓄もままならないことが分かる。そもそも男性に対する養育費の分担のさせ方に問題があるのではないか。

裁判の結果というが、それよりも上位法に「人間の尊厳」というものがあり、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとの認識にたって立法作業を進める必要がある。

通貨スワップ取引において顧客に対する説明義務違反事例

東京高裁平成26年3月20日の判例が注目されています。

 

デリバティブ取引についての最判平成25年3月7日、3月24日について、法人顧客には、適合性原則の適用はなく、経営者は中小企業であっても投資について合理的判断が常に可能という前提で説明義務違反もないとの判断がされ、多くの疑問が提起されています。

 

その中での東京高裁平成26年。

 

本件は、通貨スワップ取引において、顧客に対する当該取引の勧誘が適合性原則、説明義務に違反し、また、断定的な判断を提供した違法なものであったか否かが専ら問題となっている事案である。いずれも金融商品取引の勧誘の違法を巡って争われる事案において争点となり得る問題であって、下級審の裁判例は数多くみられ、最高裁の判例も少なくない。
第1に、本件取引の商品性についてみると、本判決は、前記したとおり、金融商品取引法の規定する取引の分類を前提に、本件取引が通貨スワップ取引であると判断している。その認定判断は、専ら契約の解釈問題であるが、事実問題にとどまらず、法律問題を含んでいるとしても、本件取引が通貨スワップ取引であったことを前提に、以下の問題点について検討すれば足り、かつ、それが簡明であるように思われる。
第2に、適合性原則違反の成否についてみると、最一判平成17・7・14民集59巻6号1323頁は、要旨の1として、「証券会社の担当者が、顧客の意向と実情に反して、明らかに過大な危険を伴う取引を積極的に勧誘するなど、適合性の原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘をしてこれを行わせたときは、当該行為は不法行為法上も違法となる」と、要旨の2として、「証券会社甲の担当者が顧客である株式会社乙に対し株価指数オプションの売り取引を勧誘してこれを行わせた場合において、当該株価指数オプションは証券取引所の上場商品として広く投資者が取引に参加することを予定するものであったこと、乙は20億円以上の資金を有しその相当部分を積極的に投資運用する方針を有していたこと、乙の資金運用業務を担当する専務取締役らは、株価指数オプション取引を行う前から、信用取引、先物取引等の証券取引を毎年数百億円規模で行い、証券取引に関する経験と知識を蓄積していたこと、乙は、株価指数オプションの売り取引を始めた際、その損失が一定額を超えたらこれをやめるという方針を立て、実際にもその方針に従って取引を終了させるなどして自律的なリスク管理を行っていたことなど判示の事情の下においては、オプションの売り取引は損失が無限大又はそれに近いものとなる可能性がある極めてリスクの高い取引類型であることを考慮しても、甲の担当者による上記勧誘行為は、適合性の原則から著しく逸脱するものであったとはいえず、甲の不法行為責任を認めることはできない」とそれぞれ判示して、適合性原則違反の成否の判断基準を示すとともに、適合性原則違反の勧誘が顧客に対する担当者の不法行為を構成し、したがって、会社に使用者責任を生じさせることを明らかにした判例であって、同判旨は、以後の下級審の裁判例において明示して引用されるだけでなく、同判旨に従った判断が示されるといったように、裁判実務に定着したものとなっている。

 

原判決は、明示的に同判旨を引用してはいないが、前記判断基準は、同判旨を踏まえたものとなっている。その判断基準に従った検討を加えた結果、原判決は、本件事案においては、適合性原則違反は認められないとして、これを否定しているところ、本判決は、同判旨を明示的に引用した上で、原判決の判断を是認しているが、前掲最一判平成17・7・14も、結論的には、当該事案における適合性原則違反を否定する(ただし、原審において、その余の争点に対して判断を示していないため、原判決を破棄して、当該争点について審理を尽くさせるため、事件を原審に差し戻す)ものであった。

第3に、説明義務違反の成否についてみると、金利スワップ取引についてであるが、最一判平成25・3・7は、要旨として、「銀行と顧客企業との間で、変動金利が上昇した際のリスクヘッジのため、同一通貨間で、一定の想定元本、取引期間等を設定し、固定金利と変動金利を交換してその差額を決済するという金利スワップ取引が行われた場合において、次の(1)~(3)など判示の事情の下では、上記取引に係る契約締結の際、銀行が、顧客に対し、中途解約時の清算金の具体的な算定方法等について十分な説明をしなかったとしても、銀行に説明義務違反があったということはできない」と判示し、その事情の(1)として、「上記取引は、将来の金利変動の予測が当たるか否かのみによって結果の有利不利が左右される基本的な構造ないし原理自体が単純な仕組みのものであって、企業経営者であれば、その理解が一般に困難なものではない」こと、同(2)として、「銀行は、顧客に対し、上記取引の基本的な仕組み等を説明するとともに、変動金利が一定の利率を上回らなければ、融資における金利の支払よりも多額の金利を支払うリスクがある旨を説明した」こと、同(3)として「上記契約の締結に先立ち銀行が説明のために顧客に交付した書面には、上記契約が銀行の承諾なしに中途解約をすることができないものであることに加え、銀行の承諾を得て中途解約をする場合には顧客が清算金の支払義務を負う可能性があることが明示されていた」ことを挙示している。説明義務違反が不法行為を構成し得る前提で、当該事案において、否定的な判断を示したものと解されるが、説明義務違反を理由とする不法行為の成立を前提に、その成否を判断してきたこれまでの裁判例を是認するものとして位置付けられる。原判決も、本判決も、説明義務違反を認めているが、この点において、同最判の判旨に抵触するものではない。最判後の裁判例として、名古屋高判平成25・3・15判時2189号129頁(適合性原則違反を認めた前掲名古屋地判平成24・4・11の控訴審判決であるが、適合性原則は否定している)、京都地判平成25・3・28判時2201号103頁、東京地判平成26・3・11本誌1442号50頁などがある。もとより、適合性原則違反の場合と同様、説明義務違反を否定した裁判例も少なくない。
第4に、断定的判断の提供の成否についてみると、最三判平成22・3・30は、要旨、「金の商品先物取引の委託契約において将来の金の価格は消費者契約法4条2項本文にいう『重要事項』に当たらない」と判示している。原判決が消費者契約法4条1項に基づく取消しを否定した判断については、「上告人の外務員が被上告人に対し断定的判断の提供をしたということはできず、消費者契約法4条1項2号に基づく取消しの主張に理由がないとした原審の判断は正当として是認することができる」と判示して、これを是認している。適合性原則違反ないし説明義務違反が認められた裁判例においても、断定的判断の提供については否定される裁判例が少なくない。原判決も、本判決もその例に漏れないが、そのようななかで、断定的判断の提供が認められた裁判例をみてみると、例えば、京都地判平成23・12・20資料版商事345号200頁(ただし、適格消費者団体による未公開株式勧誘等の差止請求が認められた事例)、千葉地判平成21・10・21判タ1353号167頁、東京地判平成20・8・27判タ1293号200頁、大阪高判平成19・4・27判時1987号18頁(ただし、消費者契約法4条1項2号に基づく取消しが認められた事例)などがあります。

東京高裁は、原判決も同旨であるが、要するに、通貨スワップ取引につき、担当者の顧客に対する説明義務違反を理由とする銀行ないし証券会社の当該顧客に対する損害賠償責任を認めた裁判例である。当該取引を行った担当者として、銀行の従業員のほか、証券会社の従業員もいるところ、両者の説明義務違反を認めたため、銀行と証券会社と両社の損害賠償がそれぞれ認められている点に特徴もある。説明義務違反を認めた認定判断それ自体は、本件事案に即した事例的な認定判断であるが、説明義務違反の一部を否定するほか、適合性原則違反を否定し、断定的判断の提供も否定した認定判断をしています。

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