出版差し止め―表現の自由との関係は

憲法の改正などの提言を行い、安倍首相にも近いといわれる日本会議の沿革や活動を書いた「日本会議の研究」について、東京地裁が出版差し止めを命じる仮処分を出した。関与している男性と宗教との関わりの言及が男性の名誉を傷つけたとの理由のようである。

たしかに新書は広く頒布されるもので一時的にはどの書店にも並ぶものであるから、名誉毀損が形成されるのであれば出版差し止めは当然といえる。しかし、本件の場合、自民党という与党にも一定の影響力を持つ団体であり、その主義主張やその形成過程についてはあまり知られていないところである。つまり、公共の関心事なのであるから内容の真実性について真実と認めるに足る相当の理由があれば出版は許容されるはずである。この点、新書といっても理屈ではその部分を削除すれば仮処分の効力は別書籍とするならば及ばないだろうが、一部分の真実性の相当性を問題にして新書全体の出版差し止めを求めるというのは、国民の知る権利と当該男性との利益調和の観点からも、比較衡量の均衡を失している。すなわち、社会公共は主に団体自体に関心を寄せるであろうから、その当該男性が叙述全体の中の重要性でどれほどのウェイトを占めるのか、当該男性について叙述することが目的とされた書籍であるのか、疑問もないわけではない。

ところで、今般、本件のような口封じを目的とした訴訟が増えているような印象である。そもそも公共の団体を標榜したり政治的イシューの実現を目指す団体であったりするのであれば公正論評を受けるのは当然のことである。これは、例えば、トランプ氏の内幕やヒラリー氏の内幕を書いた新書にすら、支持団体の記載があればその部分が名誉毀損になるというのであれば、判断手法が不相当なのではないか。

しかし、一例を挙げると政治団体の支持母体の行動も十分公共の利害の関心事であるうえ、地裁は「この部分は真実でない可能性が高い」とするが、真実でない可能性というのは一体何なのだろうか。その結果の重大性を考えれば本案と同じ判断枠組みで判断されるべきであって、規範を不当に緩めているのではないか。そして、日本会議は様々な発言手段があるのであるから対抗言論も可能であり名誉も虚偽であれば回復される。判例が指摘する「著しく回復困難な損害」というのは生命・身体の侵害のような不可逆的なものをいうのであって、差し止めの結論は相当ではない。

この点、一部でも不相当な部分があれば思想の自由市場から締め出すことができるというのであれば、揚げ足取り的な口封じ訴訟が増えていくのではないだろうか。もちろん表現する側も重要ではあるが、単なる個人と個人との間の紛争ではない本件では、新書を思想の自由市場から排斥すれば、そもそも自由討論も起こらない。そもそも名誉はプライバシーと異なり事後的な回復が可能であり、しかも表現の自由は、通常の保全と異なり、保全だからこそ事前抑制禁止の法理が働くのであるからその規範を本案より厳しくするのが相当である。少なくとも田中真紀子元外相の親族の問題に関する高裁決定は差止めを覆しており、完全な私人である元外相の親族についてすら差止めは高裁で覆されている。本件は、異議申立てをするのか分からないが、出版社はその部分を削除して再出版をする方針と聴く。しかし、こうした「ことなかれ主義」がジャーナリズムの衰退を招き、トランプ次期大統領がCNNの記者を罵倒した行動に結びついていくのではないか。先例が残れば名誉毀損による出版差し止めは認められやすいことになる。なぜなら、どんな本であろうが全部真実ということはないだろうから、一部証拠による裏付け、つまり真実と認めるに足る相当の理由がないこともあるだろうから、特に公共の利害に合致する団体を論じた文献につきどのように考えるのか。異議審や保全抗告を行うべきように思われるが、かかる態度をはっきりしないところに表現の自由の担い手である報道機関への不安を抱く人も増えるのではないか。

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