お役立ちコラム
詐欺会社が、別人名義で電話回線のレンタル契約をする、いわゆる「場所貸し」サービスは、いろいろな類型があると思います。
そんな中で、別人名義で、電話回線のレンタルをしてしまった電話代行・秘書サービスに責任はあるのでしょうか。
さいたま地裁平成27年5月12日判決によれば、電話回線レンタル業者が「免許証の写し」しか確認しておらず、しかも免許証の写真と申込みをした者を対照していなかった点で、本人確認義務違反があったとされました。そして、詐欺業者との共同不法行為が認められてしまいました。判決は、本人確認を怠った電話回線が詐欺行為に利用されることは容易に予見できるとして、被害者に対する詐欺会社との共同不法行為責任を認めています。
しかし、このケースは、オレオレ詐欺のように、電話を主たる要素として、加害行為が成立する場合に限られると思いますから、その射程距離はあまり長くないように解すべきように思われます。例えば、一般の連絡手段として、電話会社が責任を負うべきとされれば、電話会社の事業リスクが高まりかねないと考えられるからと思われます。他方、こうしたベンチャーは、あまり本人確認を厳しくすると、事業上、直接電話回線会社(NTT)と契約すれば足りるとされてしまう可能性もあるように思われます。本件では、免許証の原本を確認しなかった点、本人対照をしていなかった点がポイントであると思われ、たしかに免許証であるのにコピーしか持参できない人は怪しいと思われます。
こうした実務上の参考やまた、免許証などの本人確認のあり方について参考になる裁判例であると思われます。
医療機関債というと、ききなれませんが、有価証券ではなくあくまで医療法人との間の金銭消費貸借であるとされています。したがって、医療法人が破産すれば全損のリスクがありますし、償還日前は換金はできない等、流動性に乏しい資産といえます。
といっても、社債とパラレルに考えることができると解されますが、償還目途がないこと、発行要領も虚偽、使用目的は赤字補てんや遊興費にあてられていたというものです。
この点、代表理事の代表者としての責任が問題となりましたが、東京地裁平成27年3月27日は、医療機関債の発行中止などの措置をとらなかった点で過失があるとして、医療機関債の発行及び勧誘について、他の被告らと共同不法行為責任を負うとして、客観的共同があるとして、共同不法行為責任を認めています。
こうした点をみると、社債の発行は取締役会の決議事項とされていることが多いと解されますが、代表理事自体の監視義務も存在し、必要に応じて発行中止の措置をとる注意義務を認めた点に意義があります。医療法人は、株式会社とは異なるものの、他の社会福祉法人などの非営利法人のみならず株式会社の代表取締役にも、妥当する可能性があるものであると解されます。
最近案件で、CPA、CPR、DC、AED、VF、DNRといった用語が飛び交っています。
いずれも、医療用語で、現在、病棟での心停止や心室細動など超急性期からのリカバリーが適切であったかの検討を進めています。
具体的な案件には触れませんが、心臓マッサージというのは30分以上続けることもあるのですね。結構一般的なことなそうです。
もっとも、テレビなどでは、あまり、30分以上も心臓マッサージを行うということはなく、DC(除細動器)を使って早急に蘇生させてしまうことが多いような印象でした。
朝日新聞でも30分以上、経過した事例が報告されていました。しかし、約10分心肺停止が続くと低酸素脳症となり社会復帰が困難となりますが、低温度療法を受けたために、朝日新聞が報じた患者は後遺症が全く残らなかった奇跡!が起こったようです。しかし、最近は入院する場合に、DNR、つまり尊厳を保持するため、蘇生や自発呼吸困難な場合の呼吸管理を拒否するというDNRの意思表示をするか否か、ということも聴いているようで、病棟にもよりますが、急変時に自分がどうありたいか、ということは、なかなか難しいですね。
違法な商品先物取引に基づく損害賠償請求権の時効の起算点は、取引終了時であるのか、取引が違法な商品先物取引による損失による被害である可能性が指摘された時点であるのかが、争点となる事案がありました。民法では、被害と加害者を知る必要がありますが、取引終了時は仕切りをして、その会社と縁を切ったわけですから被害を知ったとみることも立論としては可能なところと思われます。
しかし、仕切りをしただけで、知っていたとするのは無理があるように思われます。そこで名古屋高裁平成25年2月27日は、弁護士から、本件取引が違法な商品先物取引による損失による被害である可能性がある旨指摘された時点が不法行為の消滅時効の起算点とされたものとのことです(最判平成26年10月28日)。
もっとも、損失が出て不信感から仕切りをする方も多いので、時効の起算点は個々の事案の事実認定の問題ですから、仕切後も法的措置を取らずに放置することは危険であるといえます。また、企業側についても仕切りをする際は、これまでの損益を説明する機会を設けることが企業法務として望ましいと考えられます。
取引当時66歳であり、まだ要注意高齢者ではありませんし、しかも、過去に相応の株式の取引経験と資産のある会社社長とその経営会社が、電気ガス指数の2倍連動債を購入させられた事例です。
2倍連動債については、ノックイン条件が満たされた事実を社員が告げて多らず、虚偽の接触履歴を作成したこと、元本保証と告げていることから、顧客が元本保証の商品と誤信して購入したものとして説明義務違反を認めた。また、ノックイン条件及びこの条件が満たされた場合のリスクは、経済的にみると本件仕組債の最も重要な商品特性かつリスクであるとされました。
この点について錯誤は、要素の錯誤にあたるので、錯誤無効を認めています。
営業マンには、商品について最も重要な商品特性を理解させるとともに、元本保証など事実に反して勧誘する指導が必要になると考えられます。
花に逢えば花を味わい、月を見たら月を味わう。
後には思いを残さず、出会う事象をそのままに受け流すという意味です。
本日は労働審判で岐阜地方裁判所に出張してきましたが、裁判所はとても綺麗になっていました。
裁判所はどこの裁判所も立派になっていきますね。
労働審判は無事、一回での解決をみることができましたが、依頼者の気持ちを考えると逢花打花逢月打月の心境となりました。
金の先物取引をしていたAさんは、B社との間で商品先物取引をしていました。
Aさんは、先物取引について十分な経験がなく、資産の夫の遺産でありふたりの子どもがいて、老後は遺産を取り崩して生活されることが予想される。
判決では、Aさんが、取引に習熟するまでの間、初心者に相応しい取引をさせる義務があるとしました(新規委託者保護義務)。
そして、委託者の能力、適正、勧誘状況、取引経過等を総合的に判断されるものとしました。
そして、制度の趣旨を踏まえると、自らが定めた6000万円という制限を超えてとりっひきを勧め又は注文を受けたとしている点、売りを希望したのに取引を継続させるために翻意させ損害を与えたことについて、新規委託者保護義務違反の違法があるとして、不法行為の成立が認められています。なお過失相殺は6割とされています。東京高裁平成26年7月17日。
取引当時高齢で視力に障害のあった女性とその子どもが、日経平均株価指数2倍連動債取引を行い損害を被ったと主張しました。
女性については、安全性重視、保有している金融資産の量、からハイリスク商品を負う投資傾向をするとは考えられない。
また、仕組債の取引経験がなく、投資額が原資のすべてでハイリスクであることから適合性原則を認めたものです。
さらに、業者は各債権の特徴及びリスク、特にノックイン条件が成就した場合の満期償還額の決定方法、元本が毀損しゼロになるリスクを参考事例に基づき価格・下落率を例示したり、図示する等して、説明するべき義務があったが、上記のごとき事例に基づき価格・下落率を例示した具体的説明をした後はないとして、説明義務違反を認めています。なお、買付約定書の記載は、形式的文書にすぎず、説明義務違反の判断を妨げるものではない、となされています。横浜地裁平成26年8月26日
AQUATIMEZのニューアルバムがダウンロードできるようになっていました。
このバンドも10年以上のキャリアがあるので、初期のころと比べると私の考え方と彼の考え方とのシンクロナイズドは少なくなってきたかなと思い、意識しては楽曲を聴くことはないのですが、久しぶりに「エデン」を聴いて、考え方は違えどおすすめできるアルバムなのでぜひ聴いてみてください。
エデンを聴いたときは、ふたりがいれば、背を向けあえば互いは翼になる、けれどもう僕らには飛び立つ場所などないと歌っています。
実は、二人が背を向ければ翼になり、もう魔法などなくても笑顔にできる。
愛する二人がいればそれは十分で「長い旅は終わった」と歌い、「空というものは羽ばたくものではなく、見上げるものだと」というストーリーです。
ふたりがいればそれはゴールで、それ以上は必要はない、背を向けあえば翼になり空を舞うこともできればよいけど、僕らは目的地にいるのだから飛び立つ必要はない、だから背を向けず抱きしめていよう、というものでした。それだけ素敵なふたりが出会い、羽ばたかなくても歩いていけばいい、という心境にまで彼はなったのだな、と感じました。ロマンチックな恋を思わせるとともに、前に進んでいくという情熱のようなものはなくなった悟りの境地の歌、と考えていました。
エルフの涙というアルバムは、インタビューでは前向きな歌が多いと彼は語っていましたが、たしかに強いメッセージ性の強いものはなく、聞き流すことのできる「音楽」になっている印象を受けます。
全体的には、アドラーの影響を受けているのかな、と感じられるものでした。
アクアタイムズはこれ以上、どのようなメッセージを出すのだろうと考えていました。悟りの境地の達しているような感じがしたので、さらにどんなメッセージを出すのだろう、と思っていました。
アドラーの論旨は、精神と身体、感情と理性、意識と無意識といった二元論に否定的であり、全体としてその行為は選択されたもので、その選択には責任がある、というように考えます。法律家としては、主観と客観を分けるのは当たり前のことですが、臨床心理の観点からも分析的ではないかなという感想です。そして原因は過去にあるのではなく、未来にある目的を変えていくということには勇気がいる、ということです。アドラーはライフスタイルはすべて自分で選んだと考えるのが基本です。しかし、最初に決めたライフスタイルは決め直すことができる、ライフスタイルというのは、人生や世界、あるいは自分をどう見るのか、ということを意味するものと解されます。私は、「すみなすものは心なりけり」、すべては心の持ちようということもあります。しかし、アドラーの論旨は、少しエキセントリックで本当に幸福でなくては意味がない、と主張するわけです。そして自由に生きることをすすめ摩擦が生じても、嫌われることは自由に生きるために支払わなければならない代償であり、逆に、誰かに自分を嫌っているとすれば、それは自分が自由に生きているということの証といえる、というものです。ややもすれば独善的になりかねないのですが、論旨もそういっているのではなく、自分への関心を他社への関心に向ける、というのですが、どうも心理的な心の流れと一致しないようで、個人的にはストンと落ちないところがあるところです(もちろん臨床の参考にしていますが)。
臨床心理の現場にいる私からすると、あまり実践的な感じはしないのですが自己肯定感を上げていく一つの参考にしていました。最近の流行になっていることは、いくつかの雑誌で取り上げらたり、嫌われる勇気がベストセラーになったということで知っていました。
「滲み続ける絵画」。アルバムを聴いて幼児への回帰を歌おうとしているのかなというインテンションを感じつつ、この歌は今、「嫌われる勇気」で有名なアドラーの心理学の影響があるのかなと感じました。
彼は、「独りが怖いと思ってたけど、怖いからひとりきりでいたのかもしれないね。愛とか勇気とかそういう言葉をずっと見殺しにして」と歌います。
アドラーの言葉を思い出します。「私は、自分に価値があると思えるときにだけ、勇気を持てる」。自分に価値があると思えない場合は勇気を持てず人の輪を避けようとします。
人の輪に入らないでおこうという決心を翻さない限り、今の自分を肯定的にみることはできません。現実のありのままの自分を見せるという決心をするということですから勇気がいるというのは本当のことです。そういう意味で、彼の初期の等身大のラブソングなどは飾らない粗野なラブソングを情熱的に歌う、人の評価は気にしないということで、アドラーの考え方に通じるものがあったのですね。
だから対人関係を構築しようという働きかけだけにとどまらず、自分に価値があると思える働きかけをもって勇気を持つことができる、と心理的考察を加えます。
「僕の憂鬱をかき消すあの朝焼け」、朝焼けは希望や勇気の象徴と考えているのではないかと考えられます。
心理的には、人の目を気にするのを止めて、等身大の自分こそが自分なのだ、ということが分かれば等身大の自分は到達点ではなく、自分に価値があると思える出発点になると思います。
ゴールドメダルでは彼は「いつか自分を好きになれるように生きてゆこう、そして、君よりも君らしく生きられる人はいない。それのことにおいてまず君はゴールドメダリストなんだよ」と綴ります。
エルフの涙という作品は全体として、そういうアドラーの価値観を分かりやすくメッセージとしてあるのかな、と感じます。手紙返信という楽曲などは、アドラーの論旨を心情にして歌っている気がします。
朝日新聞が、3つの誤報記事と1つの言論弾圧で揺れている。
朝日新聞は「慰安婦問題」で強制連行があったと盛んに報道し、国連報告にも影響を与え、我が国の国際社会における名誉ある地位をおとしめてきた。
ある韓国人議員によると、朝日新聞が執拗に「慰安婦問題」を報道して、その結果韓国のメディアに飛び火をしたものだ、と話している。
現在、日韓関係の懸案事項は、韓国からすれば「慰安婦問題」であるが、対する日本政府は既に「解決済み」の立場である。
しかし、強制連行があったということになれば、意思に反して「慰安婦」にさせられ「性奴隷」とまで誇張されるようになってしまった。
朝日新聞の今般の報道を見渡しても、自社報道が日韓関係を悪化させたという自覚症状がないから重症という外はない。
朝日新聞の木村社長は、韓国で記者会見を開き、強制連行の事実がなかったことを明確にして、でたらめの報道をした責任を問うべきである。
天皇陛下は、在位中の韓国訪問を希望されているという報道もあった。我が国と韓国との歴史に照らし慰安や親善のために韓国を訪問されるとの陛下のご意思は立派である。
しかし、そうしたことも朝日新聞が原因で難しくなっている。私は、以前、朝日新聞を「ブンヤ」と述べたことがあったが、事実を誇張しおもしろおかしく報道して新聞を売る目立ちたがり屋が「ブンヤ」である。
朝日新聞のスター記者である星浩は9月14日付紙面で「事実と正直に向き合いたい」と述べているが、正直、このコラムをみて、当たり前のことではないか、と考えてしまった。逆にいうと朝日新聞はこれまで特定の意図をもって事実をねじ曲げてきたことの裏返しといえる。たしかに私に小論文の書き方を教えてくれた朝日新聞の記者は、「記事というのは、たとえ客観報道を心が得ていても新聞を見比べていれば掲載されているものと、されていないものがある。あえて掲載するということは、その新聞の意図に合うから載せるということで、その背後にあるインテンションを読み取ることが良い小論文を書く秘訣だ」というようなことをいっていた。
事実のねじ曲げは東京電力での吉田所長(故人)の指示違反があったという記事で顕著であった。どこをどうみると、そのような記事になるのだろうか。都合の良い部分のみを切り取り、その他の部分を隠ぺいし、ショッキングなスクープに仕立てたのだ。そして、この記事は韓国メディアに好んで掲載され、福島の作業員は「セウォル号の船長と同じ」などと報道されたのである。放射能汚染の最前線で作業に当たった人たちの名誉を著しく陥れる侮辱であり、それを海外にもそのような印象を与えたという点は問題である。
この点は、「慰安婦問題」でも同じことである。
しかしながら、朝日新聞は、自分たちが日韓関係を損ねる元凶になっていたり、海外での日本の評判を下げる結果になっていることに鈍感であり、日本が国際社会における存在感が相対的に低くなっていることとも関係がある。
言論の自由は大事だが、朝日新聞は自説に合わないという理由で、池上彰氏のコラムと週刊誌の広告を掲載拒否した。朝日新聞自体が言論封殺をやっているのであるから、朝日新聞の表現の自由の法理を語る資格はない。
表現の自由は、言論の自由市場で自由に討論、批判することで、真理に近づけるという考え方に基づいており、池上氏のコラムの掲載拒否は、論外という外はない。
また、朝日の記事に対する批判記事に対してブログ記事も含めて抗議書を送付したのも、経営破綻する末期のJALによく似ている。おそらく朝日新聞はジャーナリズムとしては末期ガンにかかっているのではないだろうか。
星記者は、朝日新聞の反省については語らぬまま、朝日新聞が関心のあるテーマである集団的自衛権、消費税、社会保障などに紙面が割けなくなり残念だ、というような趣旨を述べている。本当に反省しているのだろうか。
朝日新聞は任天堂に関する記事でインタビューを捏造した事実も明らかになり謝罪記事が掲載された。
そして、星記者が掲げたテーマが「事実と正直に向き合いたい」。これまで「事実と不遜に向き合ってきた」ということであり、謙虚にして驕らずという態度がなく、「天下の朝日様」という上から目線報道が目立ちすぎたのかもしれない。
弁護士からすれば、取材源秘匿の原則というのは、逆にでっちあげ記事を作ることを認める原則のように思えてならない。弁護士は証拠に基づいて事実を語らないといけないが、朝日新聞には噂レベルの話しもよく掲載されている。
そしてそれが真実かどうかは取材源が秘匿、つまり証拠は明らかにしないから検証のしようがないのだということである。そして、記事が真実であるかどうかは読者のその新聞社に対する信頼関係で成り立っていたと思うが、朝日新聞に関しては、その信頼関係を自ら失う行動に出たのであって、これからは調査報道も、吉田調書などは調書をすべて掲載したうえで記事にしない限り、「オオカミ少年、朝日新聞」がこういう報道をしているというレベルにとどまってしまうと考えられる。
星記者が日曜に想うことが「事実と正直に向き合いたい」ということはある意味では当たり前すぎるし、朝日新聞は自社の記事がどのような悪影響を与えたのかについても、自己で検証記事を掲載するべきである。また、これだけ日韓関係を悪化させた当事者として、言論弾圧をしておきながら表現の自由を盾に国会への招致を拒む資格はない。むしろ積極的に、国民代表の集まりである国会に、朝日関係者は出席して、自己の報道の問題点について本当に反省のあるのか、傲慢ではなかったのか、卑怯ではなかったのか、利己的ではなかったのか、ということを向かい合って欲しい。事実と正直に向かい合うなど当たり前のことすぎて、それを主題に掲げないといけないほど朝日新聞は捏造記事が多すぎたということのように考えられます。
朝日新聞に限らず、知識が豊富な人はいても、人間に対する叡智や哲学、勇気を持つ者が少なかったかもしれない。朝日新聞は、その上に謙虚さも持ち合わせていなかったことが、大きな災いの元だったように考えられる。
