非嫡出子相続分差別の違憲判決

最大決平成25年9月4日が、非嫡出子(結婚されていない夫婦から生まれた正妻の子どものこと)につき相続分を嫡出子の2分の1とする民法900条4号ただし書きについて決定を行いました。

 

重要なところは2点です。

① 遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していたものというべきである。

② 本決定の違憲判断は、Aの相続開始時から本決定までの間に開始された他の相続につき、本規定を前提とされた遺産分割の審判その他の裁判、遺産の分割の協議その他の合意等により確定的なものとなった法律関係に影響を及ぼすものではない。

-の2点です。後者の点は実務上重要ですが、今回は触れません。

 

非嫡出子については社会的身分による区別であり、もともと「疑わしい区分」であるといわれてきました。私見は、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1とすることは正妻の保護にもなる面はあるものの、たとえ正当な目的があるとしても、子どもを犠牲にしてまで達成することほどの重要な目的であるとはいえないものと考えてきました。そして、これは不合理な社会的な身分による差別として違憲とするべきものです。日本の社会においては、「切り離された孤立した少数者」が存在しており、少数者による差別は厳格な審査が必要であると考えます。

 

今回の最高裁決定ですが、最決平成21年9月30日の今井功裁判官の反対意見と竹内行夫裁判官の補足意見を足して2で割ったような決定だな、ということで、世紀の大法廷決定の割にはその中身は充実していないという印象です。しかし、姑息だな、と思うのは竹内氏は最高裁長官ですが、平成12年6月30日に開始した相続については合憲である、と補足意見を述べています。しかし、竹内氏は違憲判決を出せば他の遺産分割にも影響が出ることを理由に最高裁が違憲判決を出すことは望ましくない、という趣旨の補足意見を述べていました。

 

しかし、そもそも個別審査が前提の最高裁の決定について、影響が大きすぎるから違憲判決は出せないというのは、いかにも職業裁判官出身らしい感覚ではないか、と思います。

 

今回の最高裁の決定をみても、正面から違憲というよりも国会に与えられた憲法裁量を違反している、というアプローチで当事者の立場になった論述があまりみられないことはどうかと思います。

 

本決定で最高裁が腐心しているのは、平成7年の大法廷決定で詳細な理由をつけて合憲としていることから「言い訳」をすることが大変だな、という印象です。

 

平成7年決定は、法定相続は遺言がない場合に機能するおまけにすぎないから、おまけの配分のあり方は重要性が低いという論法から出発しています。そして、戦前の『家制度』を「法律婚主義の尊重」にパラフレーズして唱ってしまったことから、これらを否定しない限りは違憲とすることはできないわけです。

 

前者については、相続制度の構築には合理的な裁量があるから遺言を基軸としたり法律婚を尊重したりするのは良いが、非嫡出子については「疑わしい区分」である、といって、以前述べたことは変えないものの、非嫡出子の差別はそれらを考慮しても「疑わしい区分」になるから違憲だ、と平成7年決定の理由付けの射程距離を短くとったといえるでしょう。

 

また、後者については、法律婚制度は大事だ、といいつつ、突然「個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され、吟味されなければならない」と先の竹内補足意見に登場した言葉がそのまま使われています。

 

そして、結論を導く理由として、要するに日本国内では時代が変わり、諸外国でも平成13年までに差別が撤廃されている、などなどを挙げて、これまで法律婚制度の尊重及び遺言中心で法定相続分はおまけという論法を突如否定して、「個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし、嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断される法的問題であり、法律婚制度を尊重する意識・・・は、上記法的問題の結論に直ちに結び付くとはいえない」と、規範に、別の規範を持ち出して上塗りして否定するという論法をとっています。

 

したがって、本決定には、「当審の判断と相容れない当審判例をこれを変更すべきものと認める。」という文言がどこにも見当たらないわけです。

 

そして、実務家として関心の高い、平成13年7月以降の相続はやり直しになるの、というところへの指摘に流していっています。

 

しかし、竹内サン、あなたが書いた判決で、平成12年6月30日には合憲で平成13年7月に違憲になったというのは、長官の顔を立てるためだろうけどご都合主義だろうと思います。

 

そもそも、泉徳治裁判官が反対意見で述べたように、個人の尊厳から出発し、合理的関連がないことを指摘して、立法による是正が望ましいというが、「多数決原理の民主制の過程において,本件のような少数グループは代表を得ることが困難な立場にあり,司法による救済が求められている」というのは達見ではないか、と思いました。

 

しかしながら、私が法曹を志していたとき、熱意というか励ましてくれたのが、この論点に関する尾崎裁判官の追加反対意見です。今回の決定を読んでも、非嫡出子の立場の論述はないことから、感動するということはないと思います。

 

彼の追加反対意見を以下に紹介したいと思います。

 

「双方ともある人の子である事実に差異がないのに、法律は、一方は他方の半分の権利しかないと明言する。 その理由は、法律婚関係にない男女の間に生まれたことだけである。

非嫡出子は、古くから劣位者として扱われてきたが、法律婚が制度として採用されると、非嫡出子は一層日陰者とみなされ白眼視されるに至った。現実に就学、就職や結婚などで許し難い差別的取扱いを受けている例がしばしば報じられている」「この風潮に追随しているとも、またその理由付けとして利用されている」のである。

「こうした差別的風潮が、非嫡出子の人格形成に多大の影響を与えることは明白である。

我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である。

人格形成の途上にある幼年のころから、半人前の人間である、社会の日陰者であるとして取り扱われていれば、果たして円満な人格が形成されるであろうか。

少なくとも、そのための大きな阻害要因となることは疑いを入れない。こうした社会の負の要因を取り除くため常に努力しなければ、よりよい社会の達成は望むべくもない。憲法が個人の尊重を唱え、法の下の平等を定めながら、非嫡出子の精神的成長に悪影響を及ぼす差別的処遇を助長」しており、「法律婚や婚姻家族を守ろうとして・・・その結果・・・人の精神生活の阻害」をしている。

憲法論はもちろんですが、相手の立場に立って物事を論じるというのは、尾崎裁判官の追加反対意見のようなものをいうのだと信じています。

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