自炊代行とキュレーター

堀江貴文さんが、朝日新聞で碁打ちの本を紹介されていました。いそがしくて読めなかったので獄中で読めてケガの功名だったのかもしれません。

 

朝日新聞も共感するだろうけれども、堀江さんがいわれていたのは、これからはキュレーションが大事ということでした。分かりやすくいうと情報の道先案内人ということですね。昔から編集者がキュレーションの役割を果たしていたかと思いますが、よくもわるくも手垢がついていて、純粋なキュレーションではなかったように思います。本の探し方も、この本は私たちは探せなかったのですが堀江さんはどのように探したのですか、というようなことも、キュレーションが紹介していて、いくつかのキュレーションの紹介を試してみることが大事というようなことをいわれていました。

 

したがって、今後も「編集」作業的なものの価値はなくならないだろうと思いました。

 

さて、他方で、ひっそりですが、東京地判平成25年9月30日が、自炊代行について違法判決を出し、営業の差し止めまで認めましたので、今後は自炊代行というのはアンダーグランドな商売になるか、息の根を止められてしまうか、というようなところに来たのではないか、と思います。

 

判決の内容ですが、いわゆる出版社系の弁護士や学者が主張していた内容がほぼ認められているということで、定石どおりというか、予想どおりの判決だったという印象でした。誤解を恐れずにいうと、自炊行為をしている「主体」が、本の所有者か、自炊代行業者かで違法か適法が分かれる、というように簡単に説明してしまいます。

 

この判決は自炊代行業者が主体であるという認定に立っています。テレビ番組の録画に関する最高裁判決があるので、どちらかというとそちらに近づけて判断するだろうとは思っていましたが、少し滑稽なところもありました。つまり、自炊行為というのは、消費者が自分でやるのは無理という難しさが必要なのですが、法科大学院の学生は自炊行為をたくさんしていますし、司法修習生は資料収集生と揶揄されるくらいで自炊行為もたくさんしているでしょう。

 

個人的にも裁断機とスキャナがあればできるから、代行業者に頼まないとできないというこの判決の論理には「?」と感じるところがありました。また、この問題を書くにあたって、学者の論文もみましたが、論理の飛躍が2段くらいあって、少しここまで露骨に・・・と思ってしまったというのが感想です。

 

ところで、堀江さんがいわれたキュレーションからいうと、知識は知識だけでは役に立たず、組み合わせたり、場面に応じて即して使ったり、しないといけなくて、知識が膨大なだけでは、整理が行き届いていない図書館と同じになってしまうと思っています。

 

そういう意味では自炊代行というのは、「捨てられない人」のための救世主だったわけですが、今日蔵書数を競っても意味がないよ、という価値判断があるような気もします。

 

ただ、個人的に思いますが、音楽の場合は、昔はCDをMDプレーヤーに移すという作業が必要でしたが、これは結構簡単でした。ところが、ハードディスク型のウォークマンが流行り出すと、いちいちパソコンに取り込む作業が必要となり、音楽のデータも重たいので、パソコンの動きが悪くなり、数時間かけてウォークマンに移していて、とても時間がかかると思った記憶があります。現在は、iPhoneで購入してしまいますので、こうした面倒な手続は必要になっています。

 

本も一緒ではないかな、と思います。本は、音楽と違うウォークマンのようなものがありませんから、編集して残しておくということをされる人は少ないと思います。しかし、本はかなりのスペースをとりますので、民家では邪魔になると思います。そういう意味では自炊代行にも一定の意味があるのかなと思います。堀江さんは、同じ本は二度と読まないといっていましたが、僕は同じ本は二度読みますが、つまらない本はなるべくすぐに捨てるように心掛けています。

時間もないし、スペースもないし、というところでしょうか。

 

もう一つ、この判決に勝者はいるのか、ということです。自炊代行業が実質廃業に追い込まれたと思いますが、自炊代行してまで本を持ちたいというのは結構コアな本好きではないかなと思います。はからずとも愛読者を敵にまわしてしまったという面は否めないでしょう。

 

また、音楽市場においてCDが全く売れなくなっているように、今後書籍においてもこの動きは出てくるでしょう。書籍は学芸の意味のあるので嗜好品のCDとは異なる面もあるかもしれませんが、現在の音楽業界が、「CDが売れないのは違法コピーのせい」という主張には疑問を感じます。

 

かつて音楽会社を経営したリチャード・ブランソンの言葉が卓越していると思いました。引用は正確ではありませんが、いわく、昔は良いアーチストもレコード会社が発掘しないと世の中に出ることができなかった。しかしながら、今はネット配信を使えば、レコード会社に発掘されなくても出ていくことができ、配信を見た人からのフィードバックでチャンスを得られるようになった、そういう意味ではレコード会社の役割は終わった、というような趣旨をいわれていました。

 

また、ツイッターのリツイート機能があるように、他の人の意見を紹介して拡散するようなことが定着してきた今、著作権で自分の著作物について他人の利用を認めないという排他的感が時代に取り残されている感じがします。

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