志は奪えない。

志は奪えない

 

最近

 

大軍であっても、その司令官を奪い取ることができるが、たった一人の男であっても、その志を奪い取ることはできない(論語)。

 

という一説を思い出しました。

 

弁護士であれば、志を持ち、表現の自由など切り札としての人権は矛盾なく守る決意と覚悟を持って,時には強い立場の方とも向かい合うべきだ,と思います。

 

弁護士も,こと,「基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とし」「社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない(弁護士法1条1項及び2項)という観点からは言論人としての活動が期待されていると考えられます。

 

その意味において,弁護士が司法制度,とりわけ公的機関のあり方に意見を述べるのは当たり前のことです。

弁護士は,この点,プライベート・オピニオンを述べないような気がします。幸田露伴が喝破したように,公務員というのは,効率化を図るという発想はなく無駄な過程をもうけて仕事を作ることが得意であり,それではいけません。非効率は納税者の負担として跳ね返ってきます。

 

アメリカでは,公務員についての評論は、虚偽でなければ名誉毀損は成立し得ないし,職務執行中の公務員にプライバシーは認められていません。

公職者や公的人物に対する名誉毀損にあたっては,「現実的悪意」があったことを証明できない限り、不法行為責任を負わすことは許されないとされており(現実的悪意の法理)。そのことは,直接的でないにせよ我が国の最高裁判所にも引き継がれています(最判平成元年12月21日)。これを受けた東京地判は、「公務員の行為等,民主主義社会の基礎を維持するという報道機関の本来的役割に属する事項に関わる論評」につき,免責の要件を緩和しています。

 

最近、何人かの弁護士があるイシューのパブリックコメントにおいて、裁判官・検察官→弁護士になる,というコースが難しくなっているので,裁判官は「最後は弁護士になれば良い」という気持ちで思い切った判決をすることがなくなったと指摘されているものがありました。そういう発想に気づいていなかったので,深い洞察だと思いました。

 

そういう意味では,互換性がなく,裁判官・検察官からすれば弁護士の仕事などどうでも良いし,その逆もまたしかり,という時代だからこそ,互いが交流し提言や批判もしていくべき時代ではないかと思います。もっとも,三者の協力があってなしえることですから,一つが殻に閉じこもるのであれば,それはそれで仕方がないし,それがその組織ないし侍の「徳」であるように思います。

 

防衛に関する秘密保全法やその他の政治的イシューについて見解を公表することも結構でしょうが,まずは地に足をついた点から基本的人権の擁護及び法律制度の改善を裁判所に求める活動及び言論活動をすることこそが重要であると考えます。

 

自らの身体の教える道をひたすら進もうと決意して、その道を自らの力によって進み,一つ一つから学び成長し,必要となる知識や技芸を自由自在に駆使すべく身につけられるよう,全力を尽くして参ります。

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