刑法学における精神の障害

本日は、刑法の責任能力について解説します。

 

刑法では、規範的責任論、わかりやすくいえば医学的なものではなく法的評価から考えるということですね。

 

したがって、故意、過失、責任能力、違法性の意識の可能性、期待可能性なども責任主義に欠けると考えられます。

 

もっとも、責任能力を問題になる場合は、心理学のほか、「精神の障害」の要件があるということになります。

 

したがって、精神の障害という基礎が必要という考え方が有力のように思われます。

 

具体的には、命令調の幻聴や作為体験などの症状による他行為可能性への影響が考えられます。

 

最高裁は、特に病状を重視しており、動機の形成過程を重視しているといわれています。

 

そして訂正困難な妄想に導かれた動機の形成過程は基本的に了解不能と評価しているように思われます。

 

また、そのような状況下での弁識能力は、実質を備えたものとはいえないものと解されます。

 

すなわち、行為への動機の因果律の定立が、病理学的な異常に起因するかという理論的視座から判断されているようです。

 

これは、パラフレーズすれば「病的体験による犯行の支配」ということができるのです。

 

最高裁の判例を帰納的にみると、統合失調症の病勢期の判断であって、動機が了解可能性の有無で判断され、諒解できない場合

病的体験による犯行の支配が肯定できるものと解されます。

 

最判平成20年4月25日刑集62巻5号1559頁

両医師とも,いずれもその学識,経歴,業績に照らし,精神鑑定の鑑定人として十分な資質を備えていることはもとより,両鑑定において採用されている諸検査を含む診察方法や前提資料の検討も相当なもので,結論を導く過程にも,重大な破たん,遺脱,欠落は見当たらない。

また,両鑑定が依拠する精神医学的知見も,格別特異なものとは解されない。そして両者は,本件行為が統合失調症の幻覚妄想状態に支配され,あるいは,それに駆動されたものであり,他方で正常な社会生活を営み得る能力を備えていたとしても,それは「二重見当識」等として説明が可能な現象であって,本件行為につき,被告人が事物の理非善悪を弁識する能力及びこの弁識に従って行動する能力を備えていたことを意味しないという理解において一致している。このような両鑑定は,いずれも基本的に高い信用性を備えている。

正常な精神作用が存在していることをとらえて,病的体験に導かれた現実の行為についても弁識能力・制御能力があったと評価することは相当ではないとしているにとどまり,正常な部分の存在をおよそ考慮の対象としていないわけではないし,「二重見当識」により説明されている事柄は,精神医学的に相応の説得力を備えていると評し得る。

 

最判平成21年12月8日刑集63巻11号2829頁

犯行当時の病状,幻覚妄想の内容,被告人の本件犯行前後の言動や犯行動機,従前の生活状態から推認される被告人の人格傾向等を総合考慮して,病的体験が犯行を直接支配する関係にあったのか,あるいは影響を及ぼす程度の関係であったのかなど統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人は本件犯行当時是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったと認定したのは,その判断手法に誤りはない。

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