医療安全・感染管理部からのシンポジウムー規則を厳しくしても・・・

大学病院医療安全・感染管理部Aiセンターからの報告

 

右と左を間違えたという事故は減ってきていますが、この対策で現場は疲弊はしています。

 

千葉県、群馬県の事例がクローズアップされておりますが、右と左を間違えない、部位を間違えない、という医療の室に対する介入というのは全国的にはされておりませんでした。

 

特に、患者団体から、何をしているのかという指摘を受けるが確実に進歩しているのです。

 

今回は、改正医療法ですから、自分の大学病院では特に大きな変化はないとされますが、大学病院以外ではバタバタしているところが多いかと思います。

 

医療機関、患者など4つのエレメントですが、私は、支援団体ということになるのですね。死亡事故については、次のステップとして、医療事故に該当するか判断しますし、これに該当しなければ医療事故になりませんが、支援団体の支援は必須である、に代わってきました。支援団体については、大学病院はそんなにたくさんないんですよね。そういうこともありますので、地域の医師会とのタイアップが必要ということになってきていますが、医療事故の判断の相談その他になっているのです。

 

よくみると、センターへの報告前後にいくつか項目が分かれるのですね。事故の対象かの判断が医療事故判断時ということで、比較的早いということになるかと思います。大学としては、限られた資料ということで、医師会とタイアップしてというように医師会の下部組織として、活動するということになっているのです。したがって、医師会を通して大学に連絡、というような手順になっております。

 

なかなか理事者で夜間は対応したり、ということになっておりまして、なかなか大変であります。

 

大学では、医師の派遣が求められることではないか、ということですね。建前といいますか本当の流れなんですが、現実は私のところに電話がかかって、私から各自に情報を流すという実態でございます。

 

医療安全委員会に人を出すということについては、医師会を通してはないということは事後報告ということになろうかと。地理的に遠いという事情がございまして、だいたいの院長の顔はしっております。

 

死後画像診断(AI)については、早くから取り組んできてきたのです。AIはCTですから、生きている方で検査すると、頭、胸、腹で首を落としてしまう、小児の虐待の場合は、AIの方が分かるということがあるのでして、放射線技師にしらないといけないのです。AIについては、いろいろ利点があり機械があればどこでもとれるのですが技師に知識がないとどうにもならないのです。Autopsy Imagingというkとなんですが認定技師が配置されようとしているわけです。

 

大学の資料について紹介をいたしますと、そのときですね、久々に大学病院ですが医師の専従なんておりませんで、医療安全に専従がいるのは東北と京都だけでした。病院というのは、御幣があってごめんなさい、亡くなる方には興味がないのです。病院経営は稼働率というのが欠かせないのです。そして、死亡者を聴いて応えられる院長は、ほとんどいないのです。AIも持ち出して、死を忌み嫌いというところがありまして費用も出なくて、日本の国民性もあるのですね。私は、2006年から把握できるような感じですが、医療安全はトップリーダー次第だと思うのです。私は、だいたいAIについていいますと外来のほとんど、9割なんですが、AIをしているという状況なのです。要するに、死亡事例が、診療がみるというのはダーク、特に外科系の手術について、なんで寝た子を起こすことをするねん、とか、人様の座敷にはいってくるねん、というようにいわれたのです。しかしながら、病院全体で検証すると、かえって診療へのメリットもあるということもわかっていただけた、と思うわけなのです。

 

当時は、先月、何人なくなったということすら把握できていませんでした。先ほど、AIを積極的にやりますのがわが県の特徴でありますが、どういう仕組みかといいますが、大学の患者については、医療事故かも、ということについては大学医師の病理と他病院で、立ち会うということをやる、都合がつかないということになると、別系統の法医学が立ち会うことにしたのです。この観点から非常に透明性が高まったというように考えております。たしかに、同じ大学でも医局が違うのであればそれなりに機能するのではないかと。

 

私は、忌み嫌うということから、粛々対応に交代している、に代わってきたと思うのです。あくまでも決めるのは病院の管理者であり私は意見をいうだけなのです。肌で感じまして、届けることは忌み嫌うという空気があったのですが、淡々と届けるという雰囲気になっておりまして、ガイドラインどおりになっているということになるかということで、届けるか届けないかということは、小さなことでありまして患者さんにきちんと説明しているかなのでして、届出をするかどうかというか矮小化してはならない、あくまでも患者さんへの説明責任を尽くしているか否かというのが物事の本質なのです。ですから、一事例としては、届出は粛々、説明責任を果たしましょうという本来の理想像に近づいているというように考えているのです。政策議論はあると思うのですが、私は法律で現行犯で破らない限り、なかなか法律を厳しくしてうまくいかないのですよ。どちらかというとボトムアップで、社会的コンセンサスを経て育んでいくと思うのです。現場の意見としては、やましいことがなければ届け出ればよろしい、本質的には、患者さんなり遺族なりに納得していただくということが重要だと思うのです。

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