弁護士さんってどのような執務をされていますか。

私たち、弁護士はその実態があまり分からないという点でカウンセラーと共通点が多いような気がします。

 

もっとも、訴状、準備書面、判決文と目に見えるものを、提供することもあります。

 

しかし、大きな事務所に所属している場合には、あまりなかったことですが、東京の事務所などは相手方弁護士の誤字脱字などを殊更強調して取り上げて信用できない弁護士ですよ、と不安感を煽ったりすることもありますので、その信頼関係の維持も大切ですね。組織論でも決済者が増えると準備が長くなりますが、そうでないとスピーディーに物事が運びます。

 

したがって、弁護士の執務スタイルもいろいろといったところです。

 

独立している弁護士さんの場合は、家庭環境もあるでしょう。いわゆるエスタブリッシュメント層出身の弁護士の場合は、もともと家にお金があるため勤労意欲があまり高くありませんし、弁護士は各種経営者団体の資格がありますから、エスタブリッシュメントが集う会合にも参加することができるのです。弁護士の所得ですが、以前、私が論文を書いたときの記憶では売上が1500万円前後、所得が500万円から600万円くらいの方が多いように思います。

 

このことから分かりますように、弁護士というのは明晰にいえば「名誉職」のようなところがあるのです。よく、相談者の中に「家族に裁判官がいて・・・」ということをいわれる方もいますが、判事は基本的には、東大、京大、慶応、早稲田からしか任官させないといっても過言ではありません。ですから、その相談者自体もエスタブリッシュメント出身であることが分かるのです。安倍政権では「格差の是正」ということも政治的イシューになっていますが、宇宙の片隅では、エスタブリッシュメント層というのは存在しています。

 

ですから、弁護士志望者にどのような仕事をしてみたい、と聴くと、よほどのことがない限り「企業法務」との回答もあります。しかし、企業法務は翻訳すれば契約書チェックや総会屋に対する用心棒のような仕事です。つまり、上場を考えている会社では、自前で法務部を育成するようになりましたので、今後も、大企業からの弁護士需要は少なくなっていくのではないか、と思います。

 

例えば、今、ある大手証券会社を消費被害で訴えていますが、証拠保全を東京の弁護士が妨害してきました。企業法務の中身を紐解くとこういうものなのです。また、家のみならず、パートナーとの関係もあります。何分、エスタブリッシュメント出身ですので、同じ階級同士で婚姻するケースがあります。友人は奥様は医師、看護師、教師、資産家令嬢といった例はたくさんあります。そうなりますと、実は、中間値で述べたように、「それほどもうける必要はない」というエスタブリッシュメント層の弁護士が最近は増えているな、という印象を受けます。特に紹介でしかつながらないような法律事務所は、そのような事務所ということになり、必ずしも良い仕事をしているから閉じられているわけではなく、客を選ぶことはもちろん仕事をあまり受ける必要がないので閉じているという側面もあります。こういう人たちは、昔は「ブル弁」といわれ蔑まれていましたが、最近は、むしろ主流を占めてきています。

 

みなさんは、ノブリス・オブリージュという言葉を知っていますか。これはもともとはフランス語です。ファニー―ケンブルが1837年に手紙に「確かに帰属が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初といわれています。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー英語版」を要約する際に、しばしば用いられる。最近では、主に富裕層、有名人、権力者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任関して用いられています。

 

少しびっくりしたのは、私が立命館大学に入ったとき、園部逸男さん(最高裁判事)が、このノブリス・オブリージュの話しを中心にされたことでした。私は、もともと母子家庭の出身であるし、いちじき父親が弁護士をしていただけで、特にこれといった資産家というわけではないという認識でしたが、今、思えば、園部さんは、ノブリス・オブリージュが法曹全般にあてはまるものと考えているのかな、と回顧しています。

 

たしかに、家の中に長男でも二男でも弁護士がいれば、困りごとは解決してくれるし対外的窓口もしてくれるので、一家は重宝します。私も司法試験に合格し司法修習生に任官したらやけに親戚が増えたな、と思ったことがありました。

 

分かりやすくいうと、共感や寄り添うという心情は自分の体験談のうえにしか成り立たないということです。アメリカのノブリス・オブリージュは、証人尋問や口頭弁論の「練習」のために行われているといわれており、その社会的責任とはほど遠い印象です。また、たしかに、弁護士の中には公職、審議会の委員などになるのが好きな方もいます。これらの方も、どちらかというと行政に目が向いているわけです。こういう人は権力に弱い人が多いという感想を持ちます。

 

菅官房長官や二階幹事長(いずれも自民党)が注目されるのは、いずれもたたき上げの実力派だからでしょう。最近、若い子の弁護士は被疑者と一緒にどのように嘘をつくか考えるのだそうです。昔は、反省を促したりするのも弁護士の仕事でしたが、一緒に嘘をついたり誤魔化したりする、ということが、ノブリス・オブリージュと考えているのであれば、一度、自分の内なる正義というものを顧みて欲しいものです。

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