医療安全に関する愛知県の会議にオブザーブ参加してきました。

愛知県の医療関連の会議に、愛知県弁護士会の紛争解決センターの医療(安全)ADR部会医院として参加してきました。

 

内容につきましては、弁護士会の会報に掲載される予定です。

 

参加の目的は地方自治体の実情を知るとともに、愛知県弁護士会の強みである医療ADRについて利用を求める可能性について発言させていただくためです。

 

ここからは一般論ですが、愛知県が強いのは、ADRでは応諾率が高いという点です。弁護士というと患者側という刷り込みがあるかもしれません。しかし、医療側の理解もあり、納得や説明、さらには専門委員制度もあります。医療ADRの課題は、受付で申立の実情を起案する代理人や代書人の不在という点があります。こうした点について、今後、医療ADRとして取り組んでいく課題ではないかと思われます。

 

ある読み物で興味深い指摘がありました。

 

医療訴訟の患者側の弁護士の想いは意外とまじめです。医師の責任を追及すれば医療ミスがなくなるという理想があるのです。しかし。ヒューマンエラー、還元すれば「To err is human.

」からすれば、個人の責任の追及もさることながら、医療行為が施されるシステム全体に着目して再発防止を図るアプローチになっています。また、治療もチームによる医療が中心となり、昔のような職人的な外科医などは少なくなってきています。

 

2015年に医療事故調査制度がはじまりましたが、これもシステムに光を当てています。もっとも、医療事故調査制度の医療サイドの不満は、医療訴訟の証拠へ活用可能になっていることである。しかし、この点は、映画ハドソン川の奇跡が示したように、航空事故調査委委員会の書類は訴訟では使えないとなっても本人のキャリアやライセンスには致命的な打撃になる可能性もあるのです。ハドソン川の奇跡では、航空事故調査官からパイロットに対してラガーディアやタラーボロに向かい無事着陸したとのシュミレーションが示された。しかし、これは、不確実性が全くない机上の空論とされ、シュミレーションを成功させるのに何回もやり直しをしているという事実が明らかになりました。つまり、極端な結論ありきの判断の置き換え(判断代置)という手法で判断されると,英雄も犯罪者になってしまうわけです。アメリカの航空事故調査委員会においても、真実は明らかにされるべきものの、調査への協力がスムースではないというのは、法律がある国においても難しい課題なのだと思います。

 

今後は、医療調査報告書について、証拠制限や立証趣旨を制限すべきとの討議が出ているようです。また、弁護士への批判について「科学論文を証拠として使う際、都合の良いところを出してくる」との批判もあります。そのうえで、実際に訴えてから立証を考えるケースの増加など、ADRに本来資する案件が相当数あるように思われます。また、謝罪について、医師として謝罪の必要性はあっても病院が悪いと記載しなければ、あるいは、金銭賠償がないと納得しないのでは、報告書の意味がない、との見解もあるようです。(なお医療事故調査制度については、医療安全に関する愛知県の会議とは無関係です。)

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