忘れられる権利

さいたま地裁平成27年12月22日

忘れられる権利が東京高裁に否定されて久しい。最高裁の明白要件を重なって、本件のようなインターネット上での逮捕記事が拡散し、公益目的に出たものとは到底いえない誹謗中傷記事に注目が集まっている。

小林判事にかかる名判決は以下のとおりだ。

第一 仮処分命令及び保全異議
グーグル検索で債権者の住所《略》と氏名を入力して検索すると、三年余り前の児童買春の罪での逮捕歴に関する記事が検索結果として表示される。
債権者は、この検索結果の表示により「更生を妨げられない利益」が違法に侵害されているから、人格権に基づく妨害排除又は妨害予防の請求として検索結果の削除請求権を有すると主張し、民事保全法二三条二項の仮の地位を定める仮処分として、検索結果の削除を求める仮処分の申立てをした。
原決定は、債権者は、検索結果により更生を妨げられない利益が受忍限度を超えて侵害されているから、人格権に基づき検索エンジンの管理者である債務者に対し検索結果の削除を求めることができ、検索結果が今後表示し続けられることにより回復困難な著しい損害を被るおそれがあるとして、検索結果を仮に削除することを債務者に命じた。
債務者は、原決定の取消しを求めて保全異議を申し立てた。
第二 事実及び争点
債権者の申立て、前提事実及び当事者の主張(争点)は、原決定理由第一及び第二のとおりである。ただし、原決定理由第二の三「債務者の主張(争点)」(1)②中、「児童の売春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約」とあるうち「児童の売春」を「児童の売買、児童買春」と訂正する。
第三 異議に対する判断
一 要約
当裁判所は、債権者の申立てには理由があり、これを認容した原決定は相当であるから認可すべきものと判断する。その理由は、以下のとおり補足するほか、原決定理由説示のとおりである。
二 検索エンジンの管理者への削除請求の判断枠組みについて
債務者は、検索エンジンの管理者への削除請求の判断枠組みにつき、元サイト(検索結果に表示されるURLのウェブサイト)ないし検索結果における表示内容が明らかに社会相当性を逸脱することが明らかで、元サイトの管理者等に当該ウェブページに含まれる表現の削除を求めていては回復しがたい重大な損害が生じるなどの特段の事情があるときしか認められるべきでないとか、元サイトの管理者等への削除請求を原則とすべきで、かかる救済手段が何らかの理由で困難で、かつ、一見して検索結果に表示される内容により債権者の権利が社会的に許容されないほど大きく侵害されている場合でなければ削除請求が認められるべきでないなどと主張する。
更に、債務者は、原決定が、検索エンジンに対する検索結果の削除請求を判断するにあたっての利益衡量において、単に債務者にとっての当該検索結果を表示することの意義及び必要性と、債権者の前科等を公表されない利益とを比較衡量しているとして、これを不当であると主張する。そして、検索エンジンが、公衆の知る権利と表現活動の自由を充足するために利用され、いわば公益的役割を果たしているところから、元サイトにおける表示内容が公開の情報流通の場に置かれる利益も法的に保護され、そういった公開の情報流通の場を運営する者が公正中立の立場から情報を表示することも法的に保護されるべきであるとして、かかる公開の情報流通の場から表現が排除される場合、表現主体には手続的な保護が与えられるべきであると主張する。しかし、検索エンジンの管理者に対する削除請求であるからという理由のみで債務者が主張するような制約的な判断枠組みをとるべき理由はない。
確かに、債務者の主張する検索エンジンの公益的性質も十分斟酌すべきであるが、そのような検討を経てもなお受忍限度を超える権利侵害と判断される場合に限り、その検索結果を削除させることが、直ちに検索エンジンの公益的性質を損なわせるものとはいえない。検索結果の表示により他人の人格権が侵害され、それが検索エンジンの公益的性質を踏まえても受忍限度を超える権利侵害と判断される場合には、その情報が表示され続ける利益をもって保護すべき法的利益とはいえないからである。このような利益衡量をした上で、権利侵害への個別的な対応として権利侵害にあたる一部の検索結果のみを削除することは、それにより元サイトの情報発信者に対して何らの弁明の機会ないし手続的な保護を与えることなく検索エンジンからの削除を認めることになったとしても、その情報発信者の表現の自由ないし公開の情報流通の場に置かれる利益を著しく害するとはいえない。
なおこの点に関し債務者は、検索結果に表示される内容は、検索エンジンを主体とする表現ではないとも主張する。しかし、グーグル検索の検索結果として、どのようなウェブページを上位に表示するか、どのような手順でスニペットを作成して表示するかなどの仕組みそのものは、債務者が自らの事業方針に基づいて構成していることは明らかである。それは機械的であっても編集作業であり、債務者が検索エンジンの管理者として検索結果に明らかな違法があると判断した場合に自らその検索結果を削除するなどの対応を行っていることは債務者自身も認めている。したがって、検索結果の表示が検索エンジンを主体とする表現であることは否定できない。
結局のところ、検索エンジンに対する検索結果の削除請求を認めるべきか否かは、検索エンジンの公益的性質にも配慮する一方で、検索結果の表示により人格権を侵害されるとする者の実効的な権利救済の観点も勘案しながら、原決定理由説示のように諸般の事情を総合考慮して、更生を妨げられない利益について受忍限度を超える権利侵害があるといえるかどうかによって判断すべきである。債務者の主張するように一概に、検索結果における表示内容が明らかに社会相当性を逸脱することが明らかで、元サイトの管理者等に当該ウェブページに含まれる表現の削除を求めていては回復しがたい重大な損害が生じるなどの特段の事情があるときしか認められないというべきでもないし、元サイトの管理者等への削除請求を原則とすべきで、かかる救済手段が何らかの理由で困難で、かつ、一見して検索結果に表示される内容により債権者の権利が社会的に許容されないほど大きく侵害されている場合でなければ削除請求が認められないというべきものでもない。
三 個々の検索結果として表示されている具体的な内容の評価について
債務者は、検索結果により人格権が侵害されているか否かは、当該検索結果の内容や検索結果の表示される状況などを個々具体的に検討しなければ判断し得ないはずであるにもかかわらず、原決定はそのような個別具体的な判断を一切怠っており不当であると主張する。そして、本件検索結果は、単に児童買春の罪で逮捕されたとして具体的な行為態様の記載がないもの、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないものなど表示されている内容も一様でなく、また、検索結果の表示される状況も、特殊なキーワードの入力(債権者の氏名に加え住所《略》も検索キーワードに加えること)が必要な上、無数に表示される検索結果の下位の方に表示され、およそ人目に触れる可能性が低い態様であるものなど一様でないため、本件検索結果によって人格権が侵害されるというのであれば、個々の表示内容がなぜいかなる人格権を侵害するといえるのか、各検索結果の内容、表示される状況等により、個別に判断しなければならないと主張する。
しかし、検索エンジンによる検索結果の表示により人格権が侵害されるか否かは、検索エンジンの一般的な利用方法や、検索結果の表示内容に即した利用者の読み方など、インターネット検索の特性に照らした利用者の普通の利用方法や読み方を基準として、どのように検索結果が読まれ解釈されるかという意味内容に従って判断すべきである。
この点からみると、本件検索結果の個々のスニペットの表示の中には、確かに債務者の主張するように、具体的な行為態様の記載がないとか、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないとか、原決定別紙検索結果一覧《略》のとおり検索結果の末尾の方に表示されるにすぎないものもある。
しかし、検索エンジンを利用する者は、無数のインターネットの情報の中から、検索結果として表示されるウェブページの表題や内容の抜粋(スニペット)の断片的な情報を頼りに検索結果を前後参照するなどして、利用者が探している目的の検索結果を見つけようと努力するのが普通の利用方法である。このような検索結果の一般的な利用方法を想定し、グーグル検索でも、多数の検索結果がある場合、検索結果表示の各ページの末尾に、前後の検索結果を簡単に参照できるようにするリンクが表示されている。
そして本件検索結果は、四九個の検索結果のどれを見てもスニペットの中に債権者の氏名が表示され、更に、債権者が逮捕された旨の表示がされ、あるいは逮捕の表示はなくとも債権者に児童買春・ポルノ禁止法違反(買春)の疑いがある旨の表示がされている。
そうすると、個々の検索結果の表示に具体的な行為態様の記載がなかったり、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないようなものがあったりしたとしても、検索結果を前後参照しながら目的とする検索結果を見つけようとする一般的な検索結果の利用方法を前提とするとき、普通の検索エンジンの利用者が本件検索結果における債権者の氏名と逮捕又は児童買春容疑の事実とが表示された個々の検索結果の表示内容を見れば、これを前後の検索結果も参照しながら読むことにより、各検索結果がいずれも債権者が児童買春の罪で逮捕された事実を表示しているものと解釈すると考えられる。また、検索結果の表示は前後参照しながら利用され、前後のページを簡単に参照するためのリンクも表示されていることからすれば、検索結果の下位の方に表示されるからといって、およそ人目に触れる可能性が低いともいえない。
したがって、個々の検索結果を見ても、本件検索結果はいずれも原決定理由説示のとおり、児童買春の罪により債権者が逮捕されたという過去の逮捕歴を知ることができ、その結果、債権者において更生を妨げられない利益を侵害されることとなるものと評価するのが相当である。
四 更生を妨げられない利益の侵害について
債務者は、逮捕歴が表示されていることによってどのように更生が妨げられるのか明らかでなく、更生とは、まずもって同種犯罪を繰り返さないことであろうが、かかる表示によって債権者が同種犯罪を繰り返すおそれが高まるはずがなく、むしろ逮捕歴の表示によって将来のそのような犯罪が抑制される意義も考えられるとも主張する。
しかし、罪を犯した者が、有罪判決を受けた後、あるいは服役を終えた後、一市民として社会に復帰し、平穏な生活を送ること自体が、その者が犯罪を繰り返さずに更生することそのものなのである。更生の意義をこのように考えれば、犯罪を繰り返すことなく一定期間を経た者については、その逮捕歴の表示は、事件当初の犯罪報道とは異なり、更生を妨げられない利益を侵害するおそれが大きいといえる。
一度は逮捕歴を報道され社会に知られてしまった犯罪者といえども、人格権として私生活を尊重されるべき権利を有し、更生を妨げられない利益を有するのであるから、犯罪の性質等にもよるが、ある程度の期間が経過した後は過去の犯罪を社会から「忘れられる権利」を有するというべきである。
そして、どのような場合に検索結果から逮捕歴の抹消を求めることができるかについては、公的機関であっても前科に関する情報を一般に提供するような仕組みをとっていないわが国の刑事政策を踏まえつつ、インターネットが広く普及した現代社会においては、ひとたびインターネット上に情報が表示されてしまうと、その情報を抹消し、社会から忘れられることによって平穏な生活を送ることが著しく困難になっていることも、考慮して判断する必要がある。
債権者は、既に罰金刑に処せられて罪を償ってから三年余り経過した過去の児童買春の罪での逮捕歴がインターネット利用者によって簡単に閲覧されるおそれがあり、原決定理由説示のとおり、そのため知人にも逮捕歴を知られ、平穏な社会生活が著しく阻害され、更生を妨げられない利益が侵害されるおそれがあって、その不利益は回復困難かつ重大であると認められ、検索エンジンの公益性を考慮しても、更生を妨げられない利益が社会生活において受忍すべき限度を超えて侵害されていると認められるのである。
五 保全の必要性について
債務者は、本件検索結果のリンク先ウェブサイトが三年以上前から発信されているものであり、検索エンジンの検索結果としても相当程度長期間表示されてきたものと考えられるから、保全処分によらなければならない必要性も緊急性も認められないと主張する。しかし、本件検索結果の表示が債権者の更生を妨げられない利益を侵害するものであると評価されるのは、前記四のとおり、時の経過をも考慮した結果である。したがって、当初の情報が三年以上前から発信されたものであり、検索結果としても相当長期間表示されてきたものであるからといって、保全処分による必要性や緊急性が否定されると考えるのは背理であり、債務者の主張はあたらない。
これに対し、本件検索結果を削除することは、債務者において日頃行っている削除依頼に対する任意の対応と大きな違いはなく、情報処理システム上の対処が必要なだけで、債務者に実質的な損害を生じさせるものではない。
2年前の夏、福岡県久留米市の窃盗未遂事件で容疑者として逮捕された男性から、特命取材班に訴えが届いた。「インターネット上で逮捕記事が拡散し、誹謗(ひぼう)中傷を受けている」。男性は不起訴となり、罪に問われなかった。職場の処分もなく、そもそも事件の関与を否定し続けている。情報を完全に消し去ることの難しいネット社会で、「忘れられる権利」はどこまで認められるべきなのか-。

訴えているのは久留米市に住む高校教諭、長沢武夫さん(59)。「自分の体験を多くの人に知ってほしい」として、あえて実名の掲載を希望した。

当時の報道によると、事件は2016年8月、同市の民家で発生。何者かが倉庫に侵入して水着を盗もうとした。家族が倉庫から出てくる不審者を見つけて声を掛けたが、不審者はその場を立ち去ったという。事件発生から16日後、県警久留米署が建造物侵入、窃盗未遂の容疑で逮捕したのが長沢さんだった。

「近くにいたのは間違いない。ただ、車を止め、スマートフォンのゲーム『ポケモンGO』をして、ポケモンを探していただけ。車外に出ておらず、民家のことは知らない」と長沢さん。警察の取り調べにも一貫して否認したという。

逮捕、釈放を経て約1カ月半。久留米区検察庁は「起訴するに足る証拠がなかった」として長沢さんを不起訴処分とした。勤務先の学校は配置転換となったものの、県教育委員会の処分はなかった。久留米署は「令状を取り、手続きに沿って逮捕した。捜査に一点の曇りもない」としている。

本紙を含め新聞やテレビが当時、一斉に事件を報道。一部は各社のサイトに掲載され、ネット掲示板「2ちゃんねる」やツイッターにも転載された。長沢さんは不起訴になって以降、各社に連絡し記事の削除を求めたが、管理者不明のまとめサイトにも広がり、全てを消せなかったという。

特命取材班もネット検索してみた。確かに複数のサイトやツイッターで記事が閲覧できる状態で、「久留米市で水着泥棒」「教師のわいせつ行為後絶たず」などと記されている。長沢さんが掲示板の運営者宛てに書いた削除依頼の文面まで、なぜか拡散していた。

長沢さんは言う。「記事を見た人に、水着を盗もうとした教員としてみられる。私は犯人じゃないのに、信頼を失ったままだ」

こうしたケースは増えている。総務省が相談業務を委託する「違法・有害情報相談センター」(東京)には17年度、ネット上の名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害に関し、10年度の4倍を超える5598件の相談が寄せられた。長沢さんのように削除を求める人は多い。

近年は望まない個人情報を抹消する「忘れられる権利」が提唱されている。欧州連合(EU)は今年5月、加盟国間の法律に当たる「一般データ保護規則」を施行した。必要に応じ、ネット上の個人情報や閲覧履歴の消去を、EU内やその取引先の企業・団体に義務付ける内容だ。

一方、日本では有害情報の発信者の情報開示などを定める法律はあるが、消去の法整備は進んでいない。

ネットに詳しい関西学院大の鈴木謙介准教授(理論社会学)は「検索エンジンに個別に申請すれば、記事を削除するケースもあるが、業者によって対応は分かれ、日本には一括して削除できる仕組みはない。知る権利とのバランスもあり、社会でもっと議論を深めるべきだ」と指摘する。

そもそも、逮捕イコール犯人ではない。冤罪(えんざい)の救済活動に携わる立命館大の稲葉光行教授(情報学)は「刑事司法の原則について市民の理解が進めば、不起訴の人への中傷は減るのではないか。否認事件の報道のあり方について、マスコミも慎重に考える必要がある」と話す。

=2018/09/15付 西日本新聞朝刊=

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