エキュメニズム―「原理」への固執、他者排除に。

10月8日付朝日新聞は「宗教と暴力」というテーマの対談を掲載している。

 

池上氏は、仏教にも危険な面があるのだな、という指摘をされたのに対して、佐藤優氏は、「エキュメニズム」という言葉で論点整理をした。

 

今回の選挙でも、自公、希望、リベラルなどの政党に分かれたが、もともとは、ダイバーシティにも似た他者に寛容であることを求める考え方だ。だが、エキュメニズムの歴史も、2000年以降にはいり、キリスト教と同性愛を巡る問題など、キリスト教内での見解の差異が深刻化していく中、エキュメニズムも大きな影響を受けている。

リベラル化する米国聖公会に対して、批判を鮮明にする保守派が分裂して北米聖公会を形成。アングリカン・コミュニオン全体に分裂が顕在化している。

リベラル化する英国国教会に対して不満を抱く保守派をバチカンが受け入れる意向を示したことに対し、英国国教会のカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズは懸念を表明。一部からは「エキュメニズムの失敗」とまで評される事態に陥っている。

 

他者を尊重するか、原理に固執するか。佐藤氏は、固執する者は、暴力を使って他者に自分たちの思想を強要したり、他者を排除しても構わないと考えたりする人たちがいる、と指摘する。そして原理原則にとりつかれると、命を捨てる覚悟があるから他者の命を奪うことも構わない、ハードルが低くなる、という。

 

佐藤氏は一部の人たちがイスラミックステートの過激思想に説得力があることに懸念を示すが、固着が激化する終焉をみるようだからだろう。

 

しかし、小池百合子氏の「排除いたします」とか、「日本語でそのように申しております」という考え方とか、踏み絵を強要するのは、エキュメニズムの正反対の思想だ。穏健な保守を標榜するとは恐ろしい。もともと小池氏は憲法破棄を訴えいたのだからハイパー右翼だ。防衛政策も安倍氏と一致していると党首討論で述べた。そして排除と刺客。どこに寛容さと他者を尊重していこうという姿勢が見えるのだろうか。恐ろしいのは、佐藤優氏の論理を推し進めると、彼女に総理になるためには命を捨てる覚悟があれば、他者のかけがえのない生命や個人の尊重も、ユリコズムで破壊されないか、ということだ。彼女の理念なき権力への意思はすざまじさを感じる。

 

民進党は、前原代表といい、身勝手なものの集まりであり、まさに「エキュメニズムの失敗」そのものであった。

しかし、立憲民主党の躍進も難しい。今後は、マンハッタン宣言のように保守的福音派、伝統主義カトリック、北米聖公会、正教会が協調した。このように所謂リベラルとは呼ばれない保守的なグループが協調する場面が増えていく。小さなコミュニティである会社や家庭は保守主義でも自由だが社会からリベラルさが失われると生きにくくなる。少数派にも配慮した社会的正義と基本的人権を擁護していくのが弁護士の職責だ。

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