お役立ちコラム

企業情報、安易な警察への提供に警鐘をならしたい

2019年2月4日付の朝日新聞は、特にTポイントカードをあげて、捜査機関からの照会があれば裁判所の令状がなくても会員の個人情報を提供していることが明らかになったとして、特集記事と社説を掲載している。

 

問題があるのはポイントカードだけではなく、PASMOやスイカなども同じであるし、携帯電話の位置情報システムの提供もあるのではないかとの不信が広がっている。たしかに、企業が一定のルールに基づき匿名化しビッグデータとして利用する分には問題があるが、個人のプライバシーにかかわる事柄について他人に知られる違和感に加えて、任意捜査で被疑者の承諾が原則であるのに承諾がないことが明確な状態での提供に、不安感や危惧感を抱く人も多いのではないか。

 

一例を挙げれば、中国では携帯やキャッシュレス決済により、その人の信用をポイント化し、公共サービスの利用に反映させているという話しを聴く。そういうビッグブラザーのような監視社会をよしとするのであれば、それはそれでいいのだろう。しかし、警察が捜査を開始しているのは任意であることが多く、自分が疑いの対象になっているかどうかも分からない。日本の弁護人制度には、逮捕罪名などをすぐに知る権利としての弁護権すら確立されていない。

 

最も問題なのは、警察比例原則に反した過剰な捜査もあるのではないか。非開示証拠などを取り寄せてみると、およそ裁判では使用しない証拠も多い。その中には、道路交通法関係で、カルテをすべて捜査事項関係照会書で照会しているものもあった。しかし、本当に道路交通法関係の捜査で過去のカルテが全部いるのか、憲法上の権利である通信の秘密、人身の自由、行動の自由、プライバシーの自由のほかに、「ほおってもらう権利」というものも保障されているはずだ。こうしたセンシティブ情報が多くの企業・団体が令状なしの提供に応じていることも問題である。

 

そもそも、朝日新聞が社説で指摘するとおり、17年、捜査対象者の自動車に無断でGPSをとりつけることは、過剰に情報を収集することになるので、強制処分になることを明らかにして違法としていることを踏まえた警察の運用の見直しや法整備が行き届いていない現状は遺憾に思わざるを得ない。

 

そもそも、警察は、道路交通法違反の捜査ですべてのカルテを捜査事項関係照会書で照会したり、照会の内容が誤導や誘導を前提とする照会が来ていると医師に相談されたこともある。

 

しかしながら、私は、金科玉条のように令状を要求すれば良いというものでもないと思う。なぜなら、令状は、新人の判事補や簡易裁判所の法曹資格がない裁判官の「雑務」だからである。沖縄で書記官が令状を作成していたことが発覚したように、その実際は私も取集時代、見学したことがあるが、単に記録をちらっとみたら、書記官が記録を事務室に持っていき判子を押すのである。つまりめくらばんですらないのである。

 

つまり、令状が必要だ、という形式論も超えて、継続的、網羅的な把握はプライバシーや人格権が毀損される恐れが極めて高い強制処分という前提に、法整備を進めてほしい。

 

例えば、覚せい剤、児童ポルノなどの軽犯罪において、このようなTポイントと捜査のような違法捜査の論点が出やすいのは、実は、家庭内など公には実行されないため捜査に無理が生じやすいため、こうした違和感を持たれる捜査手法をとらざるを得ないのである。しかし、調べてみる方は気持ちがいいかもしれないが、そもそも、愛知県警の逮捕者一覧のリストをみても軽犯罪がずらりと並んでいる。結局、ドライブレコーダーがワイドショーに毎日流れるように、犯罪になるか微妙な不道徳な行為でも犯罪にしたい「めくじら」社会とこうした無理ないし違和感を持たれる捜査手法は表裏一体にある。市民社会としては、企業にプライバシー保護の観点の要請に応えた解決を求めたい。

 

また、グーグルや無料通信アプリのラインは捜査機関の照会に応じる基準や実際の件数を公表しているが、他方、弁護士会照会など公法上の請求は無視している。なぜ、軽犯罪の摘発のため警察には無条件に協力し、重大さもあり得る民事事件の照会には応じないのか、この点、通信の秘密を盾にとるのであれば首尾一貫した説明も企業責任の一つではないだろうか。

前明石市長泉房穂弁護士、結局子の福祉も偽善だったか。

辞職を表明した前の明石市長、泉房穂弁護士(兵庫県弁護士会)のこどもをめぐる特色ある記述も、他方で行政代執行を受ける立場の弱者に放火をしろと迫る畜生道の人格からすれば、もはやすべてが偽善と選挙目的であったと映ってもやむを得まい。特色ある行政政策、具体的には司法がすべきことを行政に取り込んで話題を集めた泉房穂弁護士のことである。

 

一部では、泉弁護士の政治手法には評価する声もあがっていた。具体的には、明石市長としては、中学生までのこども医療費の無料化、犯罪被害者等支援条例、離婚後のこども養育支援、法テラス窓口を市役所内に全国で初めて設置していた。

特に、無戸籍者に対するサポート事業、第二子以降の保育料無料化、離婚後のこども養育支援(養育費や面会交流についての取り決め)などの施策は弁護士ならではの施策といえるだろう。

しかしながら、明石市の児童相談所は聞くところによると、実際は稼働しておらず横浜市など専門部署がある地方自治体と比べて相当な遅れをとっている状況にあると聴く。また、こうした問題に取り組む職員と話す機会があったが決してモチベーションが高いとは言えず、「いやいややっている」という感じが否めないところがあった。

 

実はというと、児童の医療費の無料は名古屋市も行っているところであり、別に珍しいことでも何でもない。養育費や面会交流についての取り決めも見学にいったのだが、別に、エフピックのような取り組みを行政をしているような形ではないと少なくとも私は理解した。要するに「言うだけ番長」なのである。

 

その結果が、放火の強要である。もはや市長や弁護士はもちろん人間としてどうかというレベルの問題であり、市民を導く資格はない。私が残念に思ったのは、泉氏は見せることだけが上手で中身がからっぽだったということである。詰めた話しになると「準備中」なのである。前明石市長の泉氏に同情的な見方もあるらしいのだが、放火を強要しておいて、「いい面もある」などというのは、選良を選ぶ感覚が鈍磨しているといわざるを得ないだろう。

そして、これほど社会でパワハラが問題になっている中で市議会が全く機能せず、かえってよくよく話しを聴いてみると職員はパワハラを受けても仕方がないなどという論調を神戸新聞は行っているようだが、言語道断というほかはない。人格を否定する人間が人の上に立つ資格など全くない。そのうえで、泉房穂弁護士がこどもの虐待に取り組むポーズをとっていたというのであるが、今考えてみるとお笑い種である。行政代執行を受けざるを得ないような人の感覚に寄り添えない人が、選挙権もない虐待児に寄り添えるはずもあるまい。明石市役所を訪れたとき、職員から泉氏は熱意がある人ですねと水を向けると「どこが?」という冷めた見方がとても印象的であった。もはや明石市役所職員の心はパワハラ市長とパワハラ弁護士からは離れていたのであろう。

それは結局、マスコミを騙してお涙頂戴の弁明をしても結局誤魔化せなかったといえようか。

2023年夏季休業のご案内

お世話になっております。

秋暑厳しき候、ご清祥のこととお慶び申し上げます。

平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。日頃から名古屋駅ヒラソル法律事務所をご愛顧いただきまして、厚く御礼申し上げます。

本年(2023年)の夏季休業にについてご案内申し上げます。

当事務所の夏季休業は8月11日から8月15日となります。

ただし、事前の予約がある場合は、12日午後、15日は法律相談に対応させていただくことがあります。
上記の場合でも、予約満了など事業者側の都合により予約を受けられない場合もありますので、何卒、ご了承ください。

夏季休業の電話対応はできません(12日は電話対応をしておりますが、弁護士は不在となります)ので予めご了承ください。

皆さまには大変ご迷惑をお掛けすることと存じますが、何卒ご了承いただけますようお願い申し上げます。

名古屋駅ヒラソル法律事務所

所長挨拶

第1 冒頭

1 皆さま、「名古屋駅ヒラソル法律事務所」の企業法務サービス・顧問弁護士サービス「中小企業の法律サポーター」サイトをご覧いただきありがとうございます。
私たち、名古屋駅ヒラソル法律事務所の弁護士と事務職員は、法人や事業者などのお客様が常に最善のリーガル・サポートを得られることを一番大切にしております。
私は子どもの時、父が経営者弁護士であり、その息子として、父親が弁護士として様々な悩みを抱えた方から自宅の固定電話に電話をかけてくるという日常の生活の一コマでした。その経営者が民事介入暴力を受けたときは、警察とやりとりをしにいくこともあったといいます。
また、安藤弁護士は、経営者の孫、及び息子として、従業員の生活を経営者が背負わなければならないことの厳しさを教えられてきました。
このように、私たちは、経営者側の人間として、育ってきたという経緯があります。
そして、依頼者や弊所の弁護士・事務職員の物心両面の幸せのために、企業法務、顧問弁護士活動もしてまいります。特に、名古屋商工会議所や中小企業家同友会の会員として、中小企業の発展を応援し、法人様や事業者様が適正かつ妥当な法的意思決定を行えるように、客観性を持ちながらも依頼者様に寄り添います。

2 私たちは、様々な企業法務の問題の課題のみならず、SDGsの達成支援なども通じて、「#WeToo」のスタンスを持っています。私たちが目指すのは、依頼者様とともに、全ての人々が物心両面で豊かになる社会の実現です。

第2 ヒラソル法律事務所の約束

1 名古屋駅ヒラソル法律事務所は、誠実に職務を果たし、社会貢献を目指すとともに、私たちの強みを生かして依頼者様に、よりよいサービスの提供をお約束します。

2 私たちは、法律事務に精通し、新たな法的課題を見つけ、それを創造的に解決することで社会貢献を目指します。

3 経営者の皆様がどのような法的課題に悩み、直面している場合でも、私たちヒラソル法律事務所は、真摯にお悩みを受け止め、解決策をともに考えます。
そして、私たちは、皆さまがいかに喜んでくださるかを第一に考え、常に難しいところにチャレンジし、お客様の述べられることは一度受け止めて真剣に考えます。

4 どのような法的課題でも、私たちは全力でサポートして、法的な側面のみならず、経営の視点からも皆さまをサポートします。
また、企業法務では、「形式的平等よりも実質的平等」を基本的なスタンスとして、私たちも「強気」を失わずに、皆さまが直面している法的課題の解決にあたります。
我々の仕事の結果は、考え方×熱意×能力といわれます。法的専門家として、法律上の羅針盤になり、法的課題を解決する熱意を持っています。それに付随する学習や経験も身 に付けるよう努力しています。

5 私たちの座右の銘は、孟子の尽心の一節の「殀寿貳わず、身を脩めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり」です。自分の持っている本心を充分に発揮させた人は、人間の本性が本来善であることを悟ります。
人間の本性が本来善であることを悟れば、やがてそれを与えてくれた天の心がわかるようになります。自分の本心を大切に保存し、その本性を損なわないように育てていくことが、つまり天に仕える道になります。寿命の長短に心を乱されるのではなく、天命に順って、ただ一すじに自分の身を修めるのが、立命の所以であるというものです。
こうした座右の銘を大切に、依頼者様の利益を守ります。
また、私たちは、新たな法律社会の挑戦者として、私たちは事業者としての責任を深く自覚し、企業、スタートアップ、中小企業の発展を目指します。
私たちは、法的サービスの提供だけではなく、皆さまが直面する経営課題に対する総合的な解決策を提供することで、皆さまのビジネスの成長を支えます。

第3 最後に

名古屋駅ヒラソル法律事務所の「法律サポーター」は、長年の知識と経験で培ってきた経営者の側の視点で、皆さまをパートナーとして考え寄り添っていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

以上

すべてのチカラは中心へ

突然、危機が襲ってきたとします。

 

この場合であっても、会社やチームでは中心人物の心さえ乱れなければ何の問題もありません。

 

仮に一時的に不安定になっても、長期的に考えれば安定していることでしょう。

 

ですから、組織が揺るがないようにするためには、中心人物の心が乱されないまま、皆が力を合わせて、心を合わせてというのが一番効果的です。

相次ぐ「引退」-貴乃花等、排除当たり前社会にならないように

昨今、「平成」の時代を駆け抜けてきた人々の「引退」が相次いでいる。彼らに、憧れ、時に励まされ、勇気をもらった世代としては、これ以上は独立独歩でいくしかあるまい。彼らにはお疲れ様といいたい。

安室奈美恵さん、滝沢秀明さん、貴乃花のそれぞれの引退のほか、吉澤ひとみさん、小室哲哉さんも「引退」をした。

 

安室奈美恵さんは、息子さんが立命館大学に進学したとの報道もあり、京都に拠点を移すのではないかといわれている。安室奈美恵さんは、いわゆる「喪失感」を持った芸術家タイプの歌手ではなかった。いわゆる小室ファミリーから離れた後、彼女なりの音楽がアーチストとしての本懐だったのだろう。そのうえで、息子さんが成人を迎え配偶者もいないことから、音楽活動にピリオドを打ったのであろう。

 

失意のなかピリオドを打たなければならない人もいた。貴乃花がその人であろう。相撲協会は映像を提供するということを通じてテレビをコントロールすることができ、大手メディアは軒並み論評を避けたり貴乃花を批判したりしている。しかしながら、しがらみのない沖縄タイムズや京都新聞が相撲協会への批判ののろしを上げた。

 

たしかに貴乃花は現役の力士ではないが、「信念の人」だった。ガチンコという言葉も貴乃花から始まったのではないかと思わせるほど、現役時代は22回の優勝を果たし一大ブームを巻き起こした親方だけに「人気の人」であることばかりであることがクローズアップされることが多い。しかし、八百長や星の取引が横行する相撲に、八百長といういわばタブーに取り組み根絶するための具体的な取り組みをしていた数少ない人ではなかったか。

 

現在の理事は優勝回数はせいぜい7回程度だ。それだけ北の湖と貴乃花が突出していたことや八百長に否定的なスタンスを取り続けた人だと分かる。それだけに、もともと敵の多い人であった。しかし貴乃花は北の湖理事長の寵愛を受けて順調に「組織人」としても、主流派として出世していた感じはある。

 

だが、自らの一門の立ち上げや自分自身の理事長就任など野心が過ぎるところも垣間見えたところは、反省しなくてはいけないところだろう。

 

テレビは、いっせいに貴乃花の報道をしなくなった。相撲協会対貴乃花の分かりやすい構図でワイドショーで取り上げようと思ったが、実体が深刻な「排除の論理」にあることが分かり、貴乃花の意思表示が引退であれ退職であれ、協会を去りたいという意向が強く、これ以上、おもしろおかしく、あるいは、貴乃花の意向に反する報道をすれば労働の自由などの基本的人権を侵害しかねないと気づいたからであろう。

 

意趣返しの勢いにた貴乃花は敗れたといえるだろう。平成29年10月、貴ノ岩関が元横綱日馬富士から傷害を受ける事件だった。貴乃花は被害者側の親方であったにもかかわらず、理事者を兼任していたことから、最終的に報告義務違反を問われて理事を解任された。

 

貴乃花は内閣府内閣府の公益認定等委員会に是正措置を求めて告発状を提出するなど軋轢を強めた。

しかし、貴乃花の別の弟子が暴行事件を起こし、その責任をとって告発を取り下げたが、いったん池に落ちた犬は徹底的におぼれさせるのが相撲協会だ。貴乃花は、「年寄り」という最も低い役職となった。そして年寄総会で2時間にわたり告発状が虚偽であること、その撤回を求められ続けられたという。これはもはや有形のパワハラ以外の何物でもない。

 

貴乃花は部屋では独立しており親方である。このため、なぜこのようなことになるのか、本人も予想だにしていないこと、いや現実化して欲しくないと考えていたことが現実化したということだろう。

相撲協会は「秘密裡」に7月の理事会で「全親方は既存の5の一門に属すること」と規約を勝手に変えてしまった。事実上、貴乃花を追い出すための規約の改正である。建前は一門に配分される助成金の透明化を図ることが目的であったが、現実には2年に1度ある理事選に貴乃花を立候補させないようにするためが真の目的とされる。

そして、理事者ではない貴乃花は、「秘密裡」の情報にアクセスできず、また、受け入れ先の一門が見つからず、受け入れを打診した一門が出した条件が、結局、内閣府に提出した告発状を虚偽と認めること、その撤回をすることという条件を示されたという。

元NHKアナウンサーの堀潤さんは朝の報道番組で、「(原発問題へのスタンスの違いから多くのアナウンサーが異動させられる中、)僕も組織に残りたいなら、上司の指を舐めろといわれたことがありますので貴乃花さんの気持ち分かりますね」と話した。会友や一部のレポーターが貴乃花批判を繰り返すが、良き組織人であることとは、上司の指を舐めるものとは、良い経営者はいわないだろう。

結局、貴乃花は目の前にある改正規約と一門所属が適わないと悟ったとき、弟子の受け入れ先を探し始めたなどの行為は立派であった。貴乃花は46歳である。「年寄り」として老け込む年齢ではあるまい。他方、中学生のころから相撲道しか知らないのも事実だ。いささか遅すぎる側面もあるが見聞を多少なりとも広げて欲しい。

産経新聞は貴乃花について「粘り腰がない」と批判するが、理事長候補とされ多くの仲間がいて、貴乃花一門を引っ張っていた時代から、理事を解任され事実上解雇される可能性が高まった状況で、相撲協会にすがりつくのが「潔し」なのか理解することができないと云わざるを得ない。

 

産経新聞は、相撲協会による貴乃花への圧力もなかったと断じて「独り相撲」などと揶揄をする。しかし、現実は、堀潤元NHKアナウンサーがいうように「上司の指を舐めてまで」組織に残りたくないという本音であろう。

 

信念の人として、自らの信念に忠実に行動する背中を見せるのも師匠の最後の仕事であった。なんとなれば、この先、貴乃花は所属先の一門が決まらず、部屋を解体させられ、友好的な部屋の年寄兼コーチになるくらいが関の山だっただろう。平成の大横綱が、「年寄」として聴いたこともない親方にあごで使われている姿がはたまたみてみたいのか。それも多いに疑問だ。

しかし、少なくとも、八百長など競技の適正化に問題意識を持っている理事を突然解任し、最も低い役職である年寄として、一門に入れなかったから解雇するという計画が事実であるとすれば、政府は公益財団として相応しいか、監査を入れるべきではないか。

忘れられる権利

さいたま地裁平成27年12月22日

忘れられる権利が東京高裁に否定されて久しい。最高裁の明白要件を重なって、本件のようなインターネット上での逮捕記事が拡散し、公益目的に出たものとは到底いえない誹謗中傷記事に注目が集まっている。

小林判事にかかる名判決は以下のとおりだ。

第一 仮処分命令及び保全異議
グーグル検索で債権者の住所《略》と氏名を入力して検索すると、三年余り前の児童買春の罪での逮捕歴に関する記事が検索結果として表示される。
債権者は、この検索結果の表示により「更生を妨げられない利益」が違法に侵害されているから、人格権に基づく妨害排除又は妨害予防の請求として検索結果の削除請求権を有すると主張し、民事保全法二三条二項の仮の地位を定める仮処分として、検索結果の削除を求める仮処分の申立てをした。
原決定は、債権者は、検索結果により更生を妨げられない利益が受忍限度を超えて侵害されているから、人格権に基づき検索エンジンの管理者である債務者に対し検索結果の削除を求めることができ、検索結果が今後表示し続けられることにより回復困難な著しい損害を被るおそれがあるとして、検索結果を仮に削除することを債務者に命じた。
債務者は、原決定の取消しを求めて保全異議を申し立てた。
第二 事実及び争点
債権者の申立て、前提事実及び当事者の主張(争点)は、原決定理由第一及び第二のとおりである。ただし、原決定理由第二の三「債務者の主張(争点)」(1)②中、「児童の売春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約」とあるうち「児童の売春」を「児童の売買、児童買春」と訂正する。
第三 異議に対する判断
一 要約
当裁判所は、債権者の申立てには理由があり、これを認容した原決定は相当であるから認可すべきものと判断する。その理由は、以下のとおり補足するほか、原決定理由説示のとおりである。
二 検索エンジンの管理者への削除請求の判断枠組みについて
債務者は、検索エンジンの管理者への削除請求の判断枠組みにつき、元サイト(検索結果に表示されるURLのウェブサイト)ないし検索結果における表示内容が明らかに社会相当性を逸脱することが明らかで、元サイトの管理者等に当該ウェブページに含まれる表現の削除を求めていては回復しがたい重大な損害が生じるなどの特段の事情があるときしか認められるべきでないとか、元サイトの管理者等への削除請求を原則とすべきで、かかる救済手段が何らかの理由で困難で、かつ、一見して検索結果に表示される内容により債権者の権利が社会的に許容されないほど大きく侵害されている場合でなければ削除請求が認められるべきでないなどと主張する。
更に、債務者は、原決定が、検索エンジンに対する検索結果の削除請求を判断するにあたっての利益衡量において、単に債務者にとっての当該検索結果を表示することの意義及び必要性と、債権者の前科等を公表されない利益とを比較衡量しているとして、これを不当であると主張する。そして、検索エンジンが、公衆の知る権利と表現活動の自由を充足するために利用され、いわば公益的役割を果たしているところから、元サイトにおける表示内容が公開の情報流通の場に置かれる利益も法的に保護され、そういった公開の情報流通の場を運営する者が公正中立の立場から情報を表示することも法的に保護されるべきであるとして、かかる公開の情報流通の場から表現が排除される場合、表現主体には手続的な保護が与えられるべきであると主張する。しかし、検索エンジンの管理者に対する削除請求であるからという理由のみで債務者が主張するような制約的な判断枠組みをとるべき理由はない。
確かに、債務者の主張する検索エンジンの公益的性質も十分斟酌すべきであるが、そのような検討を経てもなお受忍限度を超える権利侵害と判断される場合に限り、その検索結果を削除させることが、直ちに検索エンジンの公益的性質を損なわせるものとはいえない。検索結果の表示により他人の人格権が侵害され、それが検索エンジンの公益的性質を踏まえても受忍限度を超える権利侵害と判断される場合には、その情報が表示され続ける利益をもって保護すべき法的利益とはいえないからである。このような利益衡量をした上で、権利侵害への個別的な対応として権利侵害にあたる一部の検索結果のみを削除することは、それにより元サイトの情報発信者に対して何らの弁明の機会ないし手続的な保護を与えることなく検索エンジンからの削除を認めることになったとしても、その情報発信者の表現の自由ないし公開の情報流通の場に置かれる利益を著しく害するとはいえない。
なおこの点に関し債務者は、検索結果に表示される内容は、検索エンジンを主体とする表現ではないとも主張する。しかし、グーグル検索の検索結果として、どのようなウェブページを上位に表示するか、どのような手順でスニペットを作成して表示するかなどの仕組みそのものは、債務者が自らの事業方針に基づいて構成していることは明らかである。それは機械的であっても編集作業であり、債務者が検索エンジンの管理者として検索結果に明らかな違法があると判断した場合に自らその検索結果を削除するなどの対応を行っていることは債務者自身も認めている。したがって、検索結果の表示が検索エンジンを主体とする表現であることは否定できない。
結局のところ、検索エンジンに対する検索結果の削除請求を認めるべきか否かは、検索エンジンの公益的性質にも配慮する一方で、検索結果の表示により人格権を侵害されるとする者の実効的な権利救済の観点も勘案しながら、原決定理由説示のように諸般の事情を総合考慮して、更生を妨げられない利益について受忍限度を超える権利侵害があるといえるかどうかによって判断すべきである。債務者の主張するように一概に、検索結果における表示内容が明らかに社会相当性を逸脱することが明らかで、元サイトの管理者等に当該ウェブページに含まれる表現の削除を求めていては回復しがたい重大な損害が生じるなどの特段の事情があるときしか認められないというべきでもないし、元サイトの管理者等への削除請求を原則とすべきで、かかる救済手段が何らかの理由で困難で、かつ、一見して検索結果に表示される内容により債権者の権利が社会的に許容されないほど大きく侵害されている場合でなければ削除請求が認められないというべきものでもない。
三 個々の検索結果として表示されている具体的な内容の評価について
債務者は、検索結果により人格権が侵害されているか否かは、当該検索結果の内容や検索結果の表示される状況などを個々具体的に検討しなければ判断し得ないはずであるにもかかわらず、原決定はそのような個別具体的な判断を一切怠っており不当であると主張する。そして、本件検索結果は、単に児童買春の罪で逮捕されたとして具体的な行為態様の記載がないもの、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないものなど表示されている内容も一様でなく、また、検索結果の表示される状況も、特殊なキーワードの入力(債権者の氏名に加え住所《略》も検索キーワードに加えること)が必要な上、無数に表示される検索結果の下位の方に表示され、およそ人目に触れる可能性が低い態様であるものなど一様でないため、本件検索結果によって人格権が侵害されるというのであれば、個々の表示内容がなぜいかなる人格権を侵害するといえるのか、各検索結果の内容、表示される状況等により、個別に判断しなければならないと主張する。
しかし、検索エンジンによる検索結果の表示により人格権が侵害されるか否かは、検索エンジンの一般的な利用方法や、検索結果の表示内容に即した利用者の読み方など、インターネット検索の特性に照らした利用者の普通の利用方法や読み方を基準として、どのように検索結果が読まれ解釈されるかという意味内容に従って判断すべきである。
この点からみると、本件検索結果の個々のスニペットの表示の中には、確かに債務者の主張するように、具体的な行為態様の記載がないとか、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないとか、原決定別紙検索結果一覧《略》のとおり検索結果の末尾の方に表示されるにすぎないものもある。
しかし、検索エンジンを利用する者は、無数のインターネットの情報の中から、検索結果として表示されるウェブページの表題や内容の抜粋(スニペット)の断片的な情報を頼りに検索結果を前後参照するなどして、利用者が探している目的の検索結果を見つけようと努力するのが普通の利用方法である。このような検索結果の一般的な利用方法を想定し、グーグル検索でも、多数の検索結果がある場合、検索結果表示の各ページの末尾に、前後の検索結果を簡単に参照できるようにするリンクが表示されている。
そして本件検索結果は、四九個の検索結果のどれを見てもスニペットの中に債権者の氏名が表示され、更に、債権者が逮捕された旨の表示がされ、あるいは逮捕の表示はなくとも債権者に児童買春・ポルノ禁止法違反(買春)の疑いがある旨の表示がされている。
そうすると、個々の検索結果の表示に具体的な行為態様の記載がなかったり、そもそも児童買春の罪で逮捕されたか否かが明らかでないようなものがあったりしたとしても、検索結果を前後参照しながら目的とする検索結果を見つけようとする一般的な検索結果の利用方法を前提とするとき、普通の検索エンジンの利用者が本件検索結果における債権者の氏名と逮捕又は児童買春容疑の事実とが表示された個々の検索結果の表示内容を見れば、これを前後の検索結果も参照しながら読むことにより、各検索結果がいずれも債権者が児童買春の罪で逮捕された事実を表示しているものと解釈すると考えられる。また、検索結果の表示は前後参照しながら利用され、前後のページを簡単に参照するためのリンクも表示されていることからすれば、検索結果の下位の方に表示されるからといって、およそ人目に触れる可能性が低いともいえない。
したがって、個々の検索結果を見ても、本件検索結果はいずれも原決定理由説示のとおり、児童買春の罪により債権者が逮捕されたという過去の逮捕歴を知ることができ、その結果、債権者において更生を妨げられない利益を侵害されることとなるものと評価するのが相当である。
四 更生を妨げられない利益の侵害について
債務者は、逮捕歴が表示されていることによってどのように更生が妨げられるのか明らかでなく、更生とは、まずもって同種犯罪を繰り返さないことであろうが、かかる表示によって債権者が同種犯罪を繰り返すおそれが高まるはずがなく、むしろ逮捕歴の表示によって将来のそのような犯罪が抑制される意義も考えられるとも主張する。
しかし、罪を犯した者が、有罪判決を受けた後、あるいは服役を終えた後、一市民として社会に復帰し、平穏な生活を送ること自体が、その者が犯罪を繰り返さずに更生することそのものなのである。更生の意義をこのように考えれば、犯罪を繰り返すことなく一定期間を経た者については、その逮捕歴の表示は、事件当初の犯罪報道とは異なり、更生を妨げられない利益を侵害するおそれが大きいといえる。
一度は逮捕歴を報道され社会に知られてしまった犯罪者といえども、人格権として私生活を尊重されるべき権利を有し、更生を妨げられない利益を有するのであるから、犯罪の性質等にもよるが、ある程度の期間が経過した後は過去の犯罪を社会から「忘れられる権利」を有するというべきである。
そして、どのような場合に検索結果から逮捕歴の抹消を求めることができるかについては、公的機関であっても前科に関する情報を一般に提供するような仕組みをとっていないわが国の刑事政策を踏まえつつ、インターネットが広く普及した現代社会においては、ひとたびインターネット上に情報が表示されてしまうと、その情報を抹消し、社会から忘れられることによって平穏な生活を送ることが著しく困難になっていることも、考慮して判断する必要がある。
債権者は、既に罰金刑に処せられて罪を償ってから三年余り経過した過去の児童買春の罪での逮捕歴がインターネット利用者によって簡単に閲覧されるおそれがあり、原決定理由説示のとおり、そのため知人にも逮捕歴を知られ、平穏な社会生活が著しく阻害され、更生を妨げられない利益が侵害されるおそれがあって、その不利益は回復困難かつ重大であると認められ、検索エンジンの公益性を考慮しても、更生を妨げられない利益が社会生活において受忍すべき限度を超えて侵害されていると認められるのである。
五 保全の必要性について
債務者は、本件検索結果のリンク先ウェブサイトが三年以上前から発信されているものであり、検索エンジンの検索結果としても相当程度長期間表示されてきたものと考えられるから、保全処分によらなければならない必要性も緊急性も認められないと主張する。しかし、本件検索結果の表示が債権者の更生を妨げられない利益を侵害するものであると評価されるのは、前記四のとおり、時の経過をも考慮した結果である。したがって、当初の情報が三年以上前から発信されたものであり、検索結果としても相当長期間表示されてきたものであるからといって、保全処分による必要性や緊急性が否定されると考えるのは背理であり、債務者の主張はあたらない。
これに対し、本件検索結果を削除することは、債務者において日頃行っている削除依頼に対する任意の対応と大きな違いはなく、情報処理システム上の対処が必要なだけで、債務者に実質的な損害を生じさせるものではない。
2年前の夏、福岡県久留米市の窃盗未遂事件で容疑者として逮捕された男性から、特命取材班に訴えが届いた。「インターネット上で逮捕記事が拡散し、誹謗(ひぼう)中傷を受けている」。男性は不起訴となり、罪に問われなかった。職場の処分もなく、そもそも事件の関与を否定し続けている。情報を完全に消し去ることの難しいネット社会で、「忘れられる権利」はどこまで認められるべきなのか-。

訴えているのは久留米市に住む高校教諭、長沢武夫さん(59)。「自分の体験を多くの人に知ってほしい」として、あえて実名の掲載を希望した。

当時の報道によると、事件は2016年8月、同市の民家で発生。何者かが倉庫に侵入して水着を盗もうとした。家族が倉庫から出てくる不審者を見つけて声を掛けたが、不審者はその場を立ち去ったという。事件発生から16日後、県警久留米署が建造物侵入、窃盗未遂の容疑で逮捕したのが長沢さんだった。

「近くにいたのは間違いない。ただ、車を止め、スマートフォンのゲーム『ポケモンGO』をして、ポケモンを探していただけ。車外に出ておらず、民家のことは知らない」と長沢さん。警察の取り調べにも一貫して否認したという。

逮捕、釈放を経て約1カ月半。久留米区検察庁は「起訴するに足る証拠がなかった」として長沢さんを不起訴処分とした。勤務先の学校は配置転換となったものの、県教育委員会の処分はなかった。久留米署は「令状を取り、手続きに沿って逮捕した。捜査に一点の曇りもない」としている。

本紙を含め新聞やテレビが当時、一斉に事件を報道。一部は各社のサイトに掲載され、ネット掲示板「2ちゃんねる」やツイッターにも転載された。長沢さんは不起訴になって以降、各社に連絡し記事の削除を求めたが、管理者不明のまとめサイトにも広がり、全てを消せなかったという。

特命取材班もネット検索してみた。確かに複数のサイトやツイッターで記事が閲覧できる状態で、「久留米市で水着泥棒」「教師のわいせつ行為後絶たず」などと記されている。長沢さんが掲示板の運営者宛てに書いた削除依頼の文面まで、なぜか拡散していた。

長沢さんは言う。「記事を見た人に、水着を盗もうとした教員としてみられる。私は犯人じゃないのに、信頼を失ったままだ」

こうしたケースは増えている。総務省が相談業務を委託する「違法・有害情報相談センター」(東京)には17年度、ネット上の名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害に関し、10年度の4倍を超える5598件の相談が寄せられた。長沢さんのように削除を求める人は多い。

近年は望まない個人情報を抹消する「忘れられる権利」が提唱されている。欧州連合(EU)は今年5月、加盟国間の法律に当たる「一般データ保護規則」を施行した。必要に応じ、ネット上の個人情報や閲覧履歴の消去を、EU内やその取引先の企業・団体に義務付ける内容だ。

一方、日本では有害情報の発信者の情報開示などを定める法律はあるが、消去の法整備は進んでいない。

ネットに詳しい関西学院大の鈴木謙介准教授(理論社会学)は「検索エンジンに個別に申請すれば、記事を削除するケースもあるが、業者によって対応は分かれ、日本には一括して削除できる仕組みはない。知る権利とのバランスもあり、社会でもっと議論を深めるべきだ」と指摘する。

そもそも、逮捕イコール犯人ではない。冤罪(えんざい)の救済活動に携わる立命館大の稲葉光行教授(情報学)は「刑事司法の原則について市民の理解が進めば、不起訴の人への中傷は減るのではないか。否認事件の報道のあり方について、マスコミも慎重に考える必要がある」と話す。

=2018/09/15付 西日本新聞朝刊=

民事控訴審について

民事控訴審について

シュシュ:日本は三審制なんだよね。

弁護士:うん。でも事実上は事実認定の争いがほとんどであるから、高裁で終わり、つまり二審制が採用されているね。

シュシュ:最高裁はどうなっているの?

弁護士:平成7年の民訴法改正によって、最高裁に上告する理由がとても狭くなったので、今は、憲法違反と最高裁が関心があるテーマのみ取り上げられる、ということですね。

陪席裁判官で民事事件に携わった裁判官は平成7年前後で運用も変わったといっているよね。

シュシュ:ゆったりした感じだね。

弁護士:平成7年以降、東京高裁判事に聴いたら、ほとんど一回で結審するのが7割から8割という体感ということです。原審で、争点整理と主張立証が終わっていることを前提に訴訟指揮をしているからですね。そうすると、原審が相当か否かという観点からみているということです。また、証人尋問もほとんど採用されません。

シュシュ:逆転裁判するにはどうしたらいいの?

弁護士:控訴審ということになるとほとんどアファームといわれているのですが、3割は和解、変更は2割が統計上の数字で5割くらいがアファームされているくらいなんですね。

シュシュ:一回結審だから控訴棄却になるとも決められないね。

弁護士:高裁での和解は、原審の出来がいい場合は和解にならない、のですが、原審に問題があったケースは和解になるケースが多いといわれます。

シュシュ:どうやって裁判をするの?

弁護士:まあ、裁判官の心わしづかみということだよね。傾向と対策。

シュシュ:受験勉強みたいだねー。

弁護士:合議といっても、3名の高裁裁判官で合議するのではなく、主任の陪席裁判官と裁判長の2人で合議で決めているようです。主任と裁判長で意見が異なる場合にもう一人が加わる程度です。

シュシュ:キャスティングボードを握っているのは陪席裁判官だね。月10から15くらいは和解をする必要がありますので、いそがしいと思います。

弁護士:高裁の裁判官はいそがしいので、陪席は、原審に親和性を持っているという予測のもとに心証を形成していることが多いと思います。だからまずは原審は正しいという前提があって、それを引用してラクができるわけなんですね。

シュシュ:そうでないためにどうしたらいいのか、ということです。高裁では裁判長の個性が強く出ます。事実上最後の勤務地であるので雑音を考える必要がないから自分の考え方で出しやすい、ということですかね。

弁護士:そういうことなので、裁判長や陪席裁判官の傾向を掴み、高裁の判決は裁判長の個性が色濃く出る場合が少なくないと思うのです。

シュシュ:裁判官はどういうふうに心証を形成するのかな。

弁護士:昔は原審記録をじっくり読んで、最初から検討したうえで、原審を読むということをやっていたのです。ところが、現在は手抜きといったらなんなんですが、主任裁判官は原審をずばり読んでしまいます。そして、原判決に記載されている証拠等を確認することになります。その段階で、原判決に問題あるかないか当たりをつける。また、ぱっと裁判官名を見て、ああ、この人は気を付けないといけないな、ということもあるのだそうです。

裁判長は、同様のことをして合議に備えます。

シュシュ:裁判所は1週間前にはもう結論を決めているんだね。

弁護士:原審で、一方的で原告勝ち、被告負けという判決は、被告のことはどうなっているのかな、という点をみます。なのでバランスもみられるということですね。そして、控訴理由書が来た時にサプライズがあって、ああ、そういうことがあったかということで、こういう見方があるのか、ということで変わることもあります。

シュシュ:まずはどうするのか。

弁護士:実は形式面からなんだ。原記録をみて、弁論更新はしているか、裁判所と書記官の間違い、裁判官の間違い(異動後)はないかなど形式面を点検することになります。そういう形式面は破棄事由になります。

シュシュ:あまり本質ではないね。敗因分析は?

弁護士:民事訴訟も続審とはいわれているが、実際は事後審であり、原審が正しいのか間違っているのかというアプローチで審理していくということになります。そこで、原判決がどういう流れで結論を出しているのかを把握する必要があります。

原判決が間違っているということであれば、原審の立論、また時系列表などを点検することも重要と思われる。そしていずれのストーリーが合理的であるのか、ということです。

原審は、前提事実を読み込むことがいいですね。前提事実というよりも争いがあるし証拠に基づいていないというケースはあります。

シュシュ:マニュアルは分かったけど、どうしたら逆転裁判になるの?

弁護士:新たな視点、違う角度からの検討をしてみることが大事で、切り口によっては新たな視点を提示することができれば高裁で結論が動くということがあります。

シュシュ:ふむふむ。訴訟物を変更、新たな証拠が王道だね。また、証拠の評価を間違えているとか、有用な事実を見落としている、経験則違反、業界の経験則だよね、裁判官の誤った先入観を持っていたのではないか、そういう先入観も一応考えていることも必要、ということを難波孝一元東京高裁部総括判事は指摘していますね。

シュシュ:控訴理由書はサプライズなのかなあ。

弁護士:パソコンの発達で一審の最終準備書面と同じのものがあるものがあります。まあ、気持ちはわかりますが、裁判所としてサプライズはないので、和解狙いかな、という風に受け止められると思います。逆転は難しいというようにも思われますね。新たに書き下ろすくらいの方が良いでしょうね。

シュシュ:総花的な方がいいのかな。

弁護士:弁護士はこわいからねえ。論理的なまとまりがなくなり、本命の主張の説得力が下がる、ということもあるらしいですね。20枚を超えるとなるとサマリーを提出するなどですね。

シュシュ:誤字脱字とかは?

弁護士:修正されておしまい、ってことが多いのですが、あまりに誤字脱字が多い場合は結論もおかしいのではないかと思わせることを指摘することもあり得る。

シュシュ:控訴理由書は、事実と評価を意識して区別して書くというべきである。そして事実の場合、高裁の判決でも、これを使って判決が書けるのです。書面を書くときは、事実と評価を意識して区別して書くことが重要です。事実と評価が混在していると、かかる事実は控訴人からみた事実ととらえられてしまう。一方的に自分のことをいうのではなく、損なところにこの証拠は、なるほど、争点との関係では不要であると弾劾しておく必要があるということだね。まあ、事実に基づいて新たな切り口みつかるといいね。

税法にしかなかった「おしどり特例」民法にも。

相続に最も影響を与える変化が、改正民法にある。一応「特別受益」と呼ばれるのであるが、結婚して20年以上の夫婦を対象に生前贈与か、遺贈された自宅や居住用土地を遺産分割の対象から外すことができる「おしどり特例」があります。現行法では、生前贈与をしても持ち戻しの対象となっていましたが、主には妻だけの取り分とすることに変更になったわけです。

 

そうすると、自宅が分割対象から外れた場合、配偶者は、自宅は固有に得たうえでさらに残された財産について法定相続分を取得できるということになります。

 

また、こうしたことがなくても、配偶者居住権という制度がもうけられました。改正法では、所有権が他者にあっても配偶者が住み続けられるよう、家の価値をなんとも、所有権と居住権にざっくり切り離してしまう、ということなのです。

 

この居住権は、おしどり特例とは違いまして、あくまで相続財産の一部にはなります。居住権を選択した配偶者は、法定相続分から居住権として評価額を差し引き、残額を別の財産で取得することになります。ここに、20年以上のおしどり夫婦か否かで、一応の区別がもうけられているといえます。

 

しかし、ざっくりいえば、妻の取り分が増えるということは、こどもの取り分が増えるということです。資産家ともなると、特例を使うと、相続人間のバランスを大きく崩す懸念も出てきます。

岡口基一判事、懲戒請求、裁判官の市民的自由を侵害しないよう

東京高裁が、岡口基一裁判官を裁判官分限法に基づき、最高裁大法廷に懲戒の申立てをしたとの報道がなされている。

 

岡口裁判官の主な懲戒事由については、犬の返還訴訟において、勝訴した原告について犬を置き去りにしたのではないか、との趣旨の投稿をツイッターにしたことが理由だという。

 

裁判官は、憲法上職権上独立が保障されているが、我が国では犬は「物」として扱われている。そうであれば、物の引渡し請求について、置いていったのではないかとの趣旨を記載をしたにすぎないともいえる。これを論拠に懲戒の申立てというのは、裁判官の市民的活動や表現の自由を著しく侵害するものといえる。

 

著名な事件に盗聴法に関する寺西判事補事件があるが、今回は特定の政治的テーマではなく、物の返還請求の心情を傷付けたことが理由なのだという。寺西判事補事件は、裁判官の政治的自由や政治的表現の自由が問われるものであるが、岡口裁判官のツイッター上の短文は人によってとらえ方は様々としかいいようがない。通常、子の引渡し等の裁判で心ない言動をする裁判官がいても、何ら問題にされず総務課に苦情がいっても当該裁判官に対して事情を伝えることすらないだろう。

 

ところがである。今回は、一部メディアの報道によれば、岡口裁判官につき犬の所有者が東京高裁に抗議し、東京高裁が岡口裁判官に聴いたところ「軽卒で申し訳ない。弁解のしようがない。投稿のしようがない」と述べたというが、本当だろうか。刑事事件で被疑者の無罪推定を無視し、犯人視する警察のリークを報道する反省が全く活かされておらず、言論の自由そのものをつかさどる報道機関が表現の自由を行使したものを陥れるような報道をすることは嘆かわしい。

 

そもそも、日本の裁判官は、特殊なコミュニティで、官舎暮らし、職場まで一緒という特異な環境で、市民的活動に参加するものは、ほとんどいない。ツイッターを実名で行っている裁判官は、岡口基一裁判官くらいであった。ツイッター社のアカウントの凍結の経緯も不透明である。ツイッターにはそれこそ罵詈雑言を並べたアカウントも多数存在するなか、主に法的事象や社会的事象への投稿が中心の岡口裁判官の短文の投稿が、裁判官として分限に値するものかといえば職務遂行自体に関する投稿は一切みられず、法的に注目度の高いトピックの紹介をするなどアンテナの高さの方が、法曹関係者の間では評価されていたといえる。

 

岡口基一裁判官は主に金融商品や証券関係の裁判を担当する裁判官で、特段職務遂行確保の観点から問題は認められない。岡口氏は、若い裁判官にこれくらい自由でいいのだよ、ということを伝えたくてツイッターをやっていたという趣旨を著書で述べたことがある。一般的に事象に対してコメントすることもできなければ、裁判官はツイッターをすることができず、リツイートくらいしかできないことになりかねない。問題は、裁判官として公平性に疑念を抱かせる程度のものかという観点から考えられなければならないはずである。たしかに、岡口基一裁判官のツイッターには、政治的イシューや裁判に対するコメントもあり一定の思想性はあるが、所詮ツイッターの類にすぎない。先般、ゲイやレズビアンなどLGBTを生産性がないと断じた自民党議員につき、二階自民党幹事長は、「自民党は右から左まで色々な人が集まっている。それぞれの価値観や人生観はある」と述べた。当該自民党議員の言動には到底賛同できず、むしろこどものいない家庭一般等を侮蔑する論文といえるが、こうしたものを投稿しても国会議員は何ら懲罰にかけられるということはない。

最高裁のグーグル判決によって、名誉毀損的表現の削除が容易になる一方で、前科などの記事の削除は今後相当に難しくなった。まさにグーグル事件でいうならば、表現の自由に優越するほどに裁判官の公平性を失わせる投稿であることが明らかでない限り、分限をすることは許されないといえる。

岡口氏は、学際家としても知られ、裁判の実務本である要件事実マニュアルは実務家の必携書となっているし、近時に出版された本も多くの法曹関係者に購入された。かつての伊藤塾でも起きたことであるが、単純に書籍の出版など、いわば学者的能力が優れていることに対する嫉妬から、些末な苦情で最高裁大法廷に判断を求めるというのは、内輪揉めのようにみえ、かえって東京高裁の懐の狭さを示す結果とみっともなさを示す結果になってしまった。

いうまでもなく、岡口氏の投稿が、分限に値するものとはいえず、しかも非訟事件手続法の規定が適用されるいわば民事調停と同じであるにもかかわらず、その内容が広くメディアに暴露されるということ自体、みっともないとしかいいようがない。最高裁は、犬の所有者云々という投稿が、表現の自由に優越するほどに裁判官の公平性を失わせる投稿であることが明らかでないことを示し、分限の申立てを棄却しなければならない。これ以上、裁判官が閉鎖的になると、社会常識から外れる人物が出てくることを多くの国民が懸念する。先般も任期満了退官した弁護士、つまり事実上裁判官を罷免されたものがいたが、社会では通用するには難しいと思われる振る舞いをしていた。坊主につける薬はない、といわれるが、岡口氏よりも問題にすべき者は多いように思われる。そして、裁判官の市民的自由を侵害すると、瀬木元裁判官が暴露した精神的幽閉を招くことになるだろう。近時、大手法律事務所は、瀬木氏の著作を司法修習生に配り、いかに裁判官に市民的自由がなく任官することを止めた方が良いと力説しているといわれる。裁判官の市民的自由がなくなれば、社会から切り離された特殊なカルト集団が裁判をしている、そうとらえられる不気味さも出てくるだろう。特に、ドイツを筆頭に、諸外国の裁判官の市民的活動と比べて、日本の裁判官がそれが大幅に制約されている中、さらにそれを制約するということになるとなると、憲法21条にも違反するのではないか。

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